「努力=我慢」の時代は終わった。
自分のメンタリティというか無意識のうちに陥っている思考について考えてみた。
これを見ている人からすれば知ったこっちゃないだろうが、僕はもっと人生ぱっとしないかなーなんていつも思っている。
当たり前だけど世の中はそんなに簡単じゃなくて、努力しなければパッとしない。
じゃあどんな努力をすればぱっとするんだろうか。
たくさん勉強すること?人と交流すること?
ここまで考えて気づいたけど、「努力」という言葉には
どうしても「やりたくないけどやらなきゃいけないことを無理してやる」みたいなニュアンスがあることに気付いた。
他の人はどうか知らないけどぼくはとりあえずそう思っている。
僕にとって「努力」とはすなわち「我慢」だったのだ。
例えば、受験勉強は明らかに我慢だろう。
一つのライフイベントだけではなくて、人生観みたいなものにも「努力=我慢」的な思考が影響している。
大学受験の最中は「受験勉強を乗り越えた先に楽しいキャンパスライフがある」と思っていたし(実際楽しいのだが)
大学になったら「大学生の間に努力していい会社に就職して金を稼ごう」みたいなことをちょっと思ったりするし
たぶんこのままだと社会人になっても「働いて金貯めて悠々自適な老後を送ろう」ということを考えだすのだろう。
でも、この考え方でいくといつまでたっても幸せにはならない。
「いつか幸せになるだろう」という形で、希望を未来に託しているうちに全ておわってしまう。
「今」という時間の過ごし方はとても難しい。
未来のために行動するのか、この瞬間のために行動するのか。
年をとったら過去の中で生きる人も出てくるだろう。
どうあるべきかは一概には言えない。
でも、どんな多様な生き方が可能になった今、耐えてばかりでは何も得られない。
一定の困難に耐えれば、予定調和的な成功が手に入る時代は終わりつつある。
「今」という時間をどう豊かに過ごすかが問われている気がする。