なすの日記

思考を散歩させるための場所

2014-12-01から1ヶ月間の記事一覧

「選挙」だけが政治参加なのか

先日、衆議院議院選挙があった。 予想通りの自民党の大勝、そして最低の投票率。 個人的に印象的だったのはあらゆる人が異口同音に 「選挙に行こう!意見を表明しよう!政治を変えよう!」 と叫んでいたこと。 身の回りの学生も知識人も芸能人も同じだった。…

エリートのあるべき姿としての「知識人」論

「知識人」という言葉がある。 少し古臭い言葉だが、今でもそれなりに使われているように思う。 ほとんどの場合、公共の場で言論活動を行う人のことを指して使われる。 一方で、ある程度のリテラシーを持つ人、という広い意味で使われることもある。 知識人…

誰の血が流されるべきか

2013年1月、新たな女性のヒーローが生まれた。 マララ・ユスフザイ、当時16歳。 11歳の頃からタリバンによる女子教育への破壊活動を非難し続け、 2013年にタリバンにより銃撃され奇跡的に一命をとりとめた。 2014年にはノーベル平和賞を受賞し、弱冠17歳にし…

「社会に出る」という言葉の違和感

大学生は「社会に出る」という言葉の、不吉なニュアンスから逃れられない。 4年間という時間はあっという間にすぎ、大学という楽園での生活は終わりを告げる。 妄想に近い夢や希望は子供のもので、 社会に出るからにはそんなものは学校に置いていかなければ…

価値、宗教、搾取、利益。

今日の日記の副題は「搾取システムとしての宗教」。 最近、授業でマックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神(以下、プロ倫)』を読んで思ったことを中心に。 人には「良い暮らしがしたい」という欲求がある。 そのために人は働き…

人類史は死の合理化をめぐる物語である。

すべての人に遍く訪れるものが「死」です。 どれだけ豊かだろうと どれだけ貧しかろうと 死から逃れられる人はいません。 その死は今、日常から急速に存在感を消しています。 でも、死は人間にとってとてつもなく大きな命題だったはずです。 いささか過激で…