なすの日記

思考を散歩させるための場所

デモという「祭り」 ー政治的価値のないデモを繰り返すなー

f:id:naspy0411:20150717024255j:plain

国会前デモに行ってきた。

その日の昼に安保法案が衆院特別委員会で可決された。

僕は前回のエントリーで書いたように、法制化の進め方に疑問は感じるものの

すぐに「戦争反対」を盾に集団的自衛権に反対する人たちにも違和感を感じていたので

あくまで見に行く、という感じだった。

 

19時頃、永田町駅から歩いて国会議事堂の正門まで行こうとすると

議事堂の横側まですでに人がたくさんいた。

なによりも驚いたのは、デモの年齢層が高いことだった。

巷ではSEALDsが話題になっているし、デモも若者主導なんだと思っていた。

しかし、実際6〜7割は60代以上の高齢者だったように思う。

逆に若者の集団はあまり見かけなかった。

人々の間にはたくさんの旗が並んでいる。

来ている人の所属を表すもので、労働組合系の旗がほとんどだった。

 

東京の都市構造は絶望的にデモに向いていない。

海外では、街の中心に広場がありそこに人々が集う。

しかし、日本に広場と言えるものはない。

国会議事堂前でも、人々は歩道沿いに細長く展開しており、

集団の力を行使できる形状ではなかった。

また、高齢者の存在はデモ隊にとって不利に働いていたように思う。

デモの雑踏の中で高齢者が頻繁に危険な目に遭い、その度に集団全体の動きが阻害されていた。

 

満員電車のような人混みのなかで、僕はある疑念に囚われていた。

「この人たちはなぜデモをやっているんだろう。」

もう決は取られてしまったのである。

もちろんデモの時点でまだ衆議院本会議では可決されていないが、

自民党議席率を考えれば、当然安保法案は可決されるだろう。

なぜ、こんな土壇場になってこんなに盛り上がっているのだろう。

 

僕はそこに安保闘争世代、全共闘世代、そして左翼系の人々のナルシズムを見た。

まさに絶体絶命の状況でも諦めずに平和を叫ぶ自分。

子供の世代のために老体に鞭打ってデモに参加する自分。

政治について真剣に取り組んでいる自分。

そんな雰囲気に満ちていた。

 

だが、僕は敢えて彼らを断罪したい。

なぜ、失敗から学ばなかったのかと。

昔の安保闘争を戦った人々が自分たちの失敗した理由を誠実に分析し

中長期的なスパンで地道に活動していればこんな状況にはならなかったのではないか。

現状の枠組みでは国会に議員を送り込む以外に、自分の意見を政治に反映する手段はない。

しかし、左翼と呼ばれる人々は「強固な地盤を作った上で国会に代表を送り込む」

という地道な作業を怠った。

集団を作らないこと、政治家にならないことが美徳とされていたから。

しかし、デモに参加する高齢者の中で自分たちの責任、怠慢を感じている人間がどれだけいるのだろう。

 

 

彼らが自分たちの負けのなかから学習していたなら、

今頃、自民党オルタナティブが存在していたはずだ。

少なくとも前回から50年も経過したのだから、なければおかしいのだ。

なぜ半世紀にもわたって同じ問題で揉めなければならないのだろう。

オルタナティブとされていた民主党も、様々な政治的主張を持つ人々の集まりであり、烏合の衆である。

それはつまり、自分たち政権運営することを想定しておらず

とりあえず数を多くするという安易な道を選んだということに他ならない。

 

固定した土地を持ち、松下政経塾のように学校などの形でリベラルな政治家を育成し、

国会に送り込むことで自分たちの政治的主張を実現していこうという態度は

左翼のなかには現れなかった(あったとしても支持されなかったのだろう)。

まさに法案が可決するという段階になって、大勢を集めて「祭り」を開けば

なんとかなるのではないか、という発想は

前回も指摘した通り、太平洋戦争中の日本軍の精神論と同じだ。

 

デモの参加者は10万人と発表された。

しかし、どう考えてもそんなにいたはずはない。

デモの参加者数は基本的に多めに見積もられる。

そんないい加減なことをしていれば人々はついてこない。

「今日は10万人も集まりました!この調子で頑張りましょう!」

と言って身内で勝手に盛り上がっていたのでは、たとえ安保に疑問を感じていても

デモに参加しようという気は失せてしまうだろう。

 

今回のデモに参加したSEALDsの学生やその他の若者は、この「負け」を反省するのだろうか。

また、数十年後もどうにもならない状況になった後で国会前で「戦争反対」をさけびつづけるのではないだろうか。

 

 

結局、日本のデモは開催時期を考慮すると「本当に変える」ためにあるのではない。

それは、数十年に一度、国会で安定した勢力を持たない左翼陣営が

自分たちの存在を誇示するための「祭り」なのだ。

僕自身、自分はリベラルな考えを持っていると思っているし安倍政権の議論の進め方はおかしいと思う。

しかし、現状のような自己陶酔的なデモをやっていても人々はついてこない。

本当に政治を変えるための努力を怠ってきた人々のデモに、僕は怒りを抑えることができない。