なすの日記

思考を散歩させるための場所

やっとけばよかったと思うこと 1

いま僕は22歳だ。

4月には23歳になる。

世間的には若者の部類に入る。

自分でも若いと思っている。

客観的にみても主観的にみてもまだまだペーペーなのだが、

一応、22年生きるとものすごく大切な思い出とか思い返すだけで悔しい後悔なんかを多少経験していたりする。

なんとなく思い立ったので、「やってよかったこと」と「やらずに後悔したこと」を書き連ねてみようと思う。

 

1. 年上の人ともっと絡めばよかった。

僕は「先輩」という人種に対して無条件に恐怖心を感じるタチだ。

それはべつにゴリゴリの男子寮に入ったからというわけではなく、元々そうなのだ。

逆に、東京で住んでいた男子寮に入っていなかったら今より酷かっただろう。

だから自分が絡むのは高校でも大学でも同級生が多かった。

でも、最近もっと大人と絡んでおけばよかったと思う。

もちろんまだまだ巻き返し可能なのでこれからはたくさん年上の人と話そうと思う。

 

人生は一人一人違うけれど、それぞれに起こるライフイベントは実はそんなに大差ない(特に日本では)。

大学に行った人なら1年目は大学の中で何を頑張ろうか迷うし3年くらいになると就活に悩みだす。

自分が抱えている悩みの多くを年上の人は既に経験しているのだ。

大学に入って学生団体とかやってたけど、なんでもっと大人(社会人)と関わらなかったんだろうと後悔している。

機会はいくらでもあったのに。

 

2. 人のすごさは結果・仕事量で判断する。

大学に入ると高校よりもいろんなタイプの人間に出会う。

僕が地方から出てきたというのもあるのだろうけど、自分より優秀な人が無限に存在することに圧倒されていたのが大学1、2年の頃だった。

でも、なんとなく負けたくなくてどうにかしてそういう人たちのボロを見つけて

自分の存在意義みたいなものを確認しがちだったのだが、当たり前ながらそれは本当にカッコ悪い。

しかし、世の中でもてはやされてすごいと評価されている人たちの中にはどうしても「なんか違くね?」というのが存在することも確かだと思う。

最近、覚えた見分け方はこれ。

なんらかの結果を出している人はなんの結果も出してない人より偉い。

どれだけ気に入らなくてつまらなくても結果を出しているやつの方が偉い。

逆に言えば、結果を出していないのに結果を出している人に色々文句をつけるのは最高にダサい。

SNSのおかげでみんなが自分の意見を発信できるようになったけれど、

なんの実績もない人たちがそれなりに有名な人たちを論破しようと試みたりとりあえず罵声を浴びせようとするのを見るけどとにかくダサい。カッコ悪い。

でも、自分にもそういう面が確かにあったし今もある。

結果を出せば人もその他のリソースも勝手についてくる。

 

あと仕事量ってのも大事かなと最近を思う。

単純な話、やればできるけどあんまりやらない奴と出来はまあまあだけどめっちゃやる奴がいたら後者が良いに決まってる。

例えば「起業」は一つの結果だけど、「で、結局こいつは何をしたんだ?」みたいなのも多い。

それなら会社の中でいろんな事業を成功させた人の方がかっこいい。

僕はどっちもまだなので何も言えないんだけど…

 

3. 「怖い」をコントロールする

は?って感じですよね。

説明します。

他の人はどうか知らないけど

自分の苦手なことだったりやったことのないことをやるとき、僕は胸のあたりがキューっとなる(ときめいているわけではない)。

べつに緊張でも恐怖でもなんでもいいんだけど、この状態になると思考が止まる。

「時間よ早くすぎろー」状態になってしまって何もできない。

ただやり過ごすことだけを考えるようになってしまう。

大人になると怒られることも減って中途半端な知識や思考力を身につけるからけっこういろんなことをやり過ごせてしまう。

でも、それだと何かにチャレンジして自分を向上させたいみたいな欲求と矛盾する。

それはけっこう苦しい。

僕の場合は「なんでうまくできないんだ!」と思った場合は大体、恐怖や緊張で頭が止まっているせいだと最近気づいた。

例えば、英語を話すときとか、さっきの「年上と話すのが苦手」というのもそう。

思い返せば、苦手であったり未体験のシチュエーションのときは身体がカーッとなる。

意識的になるだけでも随分違うし、もっと早く気づきたかった。

 

 

たぶん話はまだ尽きないけど、話のレベルもばらばらになってしまったし既にけっこう長いのでここまでにする。

終点まで行ってみた。 -コペンハーゲンの中心から20分で大平原-

ブログの名前に「日記」とあるのに、今まで日記らしきものを書いてこなかった。

というわけで今日は普段乗ってるメトロの終点まで行ってみた。

終点、といってもコペンハーゲンの中心部からメトロで20分ほどである。

しかも、僕の最寄り駅は終点の一つ前なので目的地まで歩いていった。

僕の近所は新しく開発されている土地なのでどこもかしこも建設中だ。

途中で見えてくるのは2016年に完成するというアリーナ。

f:id:naspy0411:20160129023105j:plain

ハンドボールやらアイスホッケーやらのために使うらしい。

終点の駅までつくと、いくつかマンションらしき建物が見えてきた。

f:id:naspy0411:20160129023730j:plain

もはや見慣れてしまったデンマーク建築である。

本当に何もない。

さらに進むと広大な草原が広がっていた。

f:id:naspy0411:20160129023952j:plain

もう一度言うが、ここは首都の中心部からメトロで20分ほどの場所である。

ここから20分で国会議事堂にも女王の住む王宮にも行けるのである。

最初は空港の敷地かと思っていたが、そうでもないらしい。 

地図の右上あたりから先ほどの写真を撮影したのだが、帰宅してからgoogleマップを見てびっくり。

どんだけ草原やねん!!

調べてみるとここは、30〜40年ほど前まで大砲の訓練場だったらしい。

そして不発弾等の完全な撤去が確認されたのがつい6年前の2010年。

Vestamager ammunitionsrydning - NIRAS   ←不発弾撤去完了の記事

Kalvebod Fælled - Wikipedia, the free encyclopedia ←ウィキペディアの説明

なんとも変な感じである。

 

 

さて、デンマークで新たに建設されるビルはとにかくエッジが効いている。

f:id:naspy0411:20160129024804j:plain

この「切断面揃えんかい」と言いたくなるアパート

f:id:naspy0411:20160129025034j:plain

おもわず「え、どういうこと?」とつぶやいてしまう奇怪な形のオフィス兼住居。

またまたgoogleアースをみて気づいたのだがこの写真のビル、数字の8の形らしい。

 

というわけでその名も「8TALLET」

誰が気付くんだ…

しかし、このビルからの眺めは先ほどの大平原である(中に入ったわけじゃないけど)。

うらやましい…

少し歩くと幼稚園の横におじさんが座っていた。

f:id:naspy0411:20160129025656j:plain

木製のおじさんである。

なんの説明もなくただ座っていたこの大きなおじさんは何を見つめているのだろう。

難民から資産を没収!? -Jewelry Lawをめぐる議論ー

 先日、ツイッターのタイムラインをさかのぼっていると

やたら"Denmark"という文字を目にした。

何かと思えば、デンマークが難民・移民から財産を回収できるという法律が可決されたことを世界中のメディアが報じたようであった。

www.bbc.com

具体的には、難民から10,000クローナ(1クローナは約18円)以上の資産を没収し、彼らの住居や食事などの経費に充てるいう内容だ。

元々は婚約指輪など思い出の品を含むありとあらゆる財産を没収する法律であったため、英語では"Jewelry law"と呼ばれている(反対意見が続出したため、思い出の品は対象から除外された)。

上の記事にも“controversial”とあるようにこの法律はかなり論争を巻き起こしている。

国連で難民関連の問題を担当する国連難民高等弁務官事務所UNHCR)はこのデンマークの決定をかなり強く非難し、「難民の尊厳への侮辱だ」と述べ、国連のパンギムン事務総長も、命からがら逃げてきた難民たちは敬意をもって扱われるべきだという趣旨のコメントを出した。

さらなる批判として、Jewelry lawはナチスドイツがユダヤ人を強制収容所に送り込む際に全ての財産を没収していたとの比較に値するという意見もある

www.theguardian.com

デンマークの首相とヒトラーを重ねた風刺画

www.independent.co.uk

デンマークのシンボルの一つである人魚姫が難民から没収した宝石類を身に着けている風刺画

 

 デンマーク政府は法律成立前から投げかけられた激しい批判に対し、「デンマーク史上最も誤解された法律だ」と反論した。

Has Denmark’s plan to seize goods been misunderstood? - The Local

デンマークは高額な税を徴収する分、多くのリターンを与えるという社会民主主義の国であり、デンマークで暮らそうとする以上難民だからといって支援を無償で与えるわけにはいかないというのがJewelry lawの趣旨だ。

この法律が議題に上ったあとに起こった大事件といえば、2015年末にヨーロッパ各地で起きた性的暴行事件だ。

この事件は特に日本においては断定的に難民によるもの言われているが、地元のギャングが絡んでいたという説もある。

www.buzzfeed.com

ちなみに1月6日までに逮捕されたシリア人は難民ではなかった。

Three Syrians arrested in Germany over alleged gang rape of two teenage girls on New Year’s Eve | Europe | News | The Independent

一方で、犯行が「アラブ系」によって行われたことは間違いなさそうだ。

 

しかし、実態がどうであれこの事件は難民の流入に不安を覚えていた人々に、表立って難民受け入れ反対を表明する材料を与えてしまった。

間違いなくデンマークにおけるJewelry law成立の追い風となったはずだ。

 

 

個人的な意見としては、Jewelry lawはあくまで国民の不満を抑えるための政策であるように思う。

自分たちが働いて稼いだ税金を難民に与える政府という印象を持たれないためにも、難民から何かを徴収する必要があり、今回の法律は毅然とした対応を示すためのパフォーマンスの一種と言ってしまってもいいような気がするし、難民が移住先としてデンマークを選ばないようにするためのものでもあるだろう。

だいたい、難民から回収できる金額などたかが知れているだろうし没収した資産で難民支援を賄うのは難しいだろう。

www.vice.com

(↑デンマークにやってきた難民の持ち物を取材した記事)

しかし、それが「宝石まで巻き上げられる」というセンセーショナルな部分が取り上げられ、大きな問題となった。

実はこの種の法律はスイスで施行されており、今後はドイツもそれに続く模様だ。

Germany follows Switzerland and Denmark to seize cash and valuables from arriving refugees | Europe | News | The Independent

 

難民を受け入れ続けることはいかに国が豊かであろうと難しい。

しかし、本当に命からがらで逃げてきた人たちに対し今も殺戮の続く母国へ帰れ、と言い切ってしまうこともまた難しい。

 

イスラム問題に関して多くの著作がある池内恵は、「2015年は西欧の普遍主義の限界を思い知らされた年、2016年は限界をあからさまに認めてしまう年」と述べた。

 

1月1日の夜に放送されていた「ニッポンのジレンマ」が1月30日(29日の深夜と言うべきなのかな?)0時30分から再放送されます。私はVTR出演で「2015年は西欧の普遍主義の限界を思い知らされた年、2016年は限界をあからさまに認めてし...

Posted by 池内 恵 on 2016年1月23日
人々は再び分断されるのだろうか。
グローバル化の帰結は、「異なる文化的背景を持つものは共に暮らせない。」なのだろうか。
どうにかしたいという気持ちとは裏腹に、世界は憎悪に満ちつつあるように思う。
 

ただなんとなく、ただわけもなく

僕は「意味」という言葉が苦手だ。

「何で?」という質問は多くの場合、意味を問うていると思うのだけど

この質問をされるのもするのもあまり得意ではない。

 

得意ではないと言ってみたところで、今の社会で「意味」を問わずに生きていくことなど不可能だし、「意味などない!」といわれてしまっては何もできない。

「意味」というのは誰かに何かを説明するために存在するものともいえる。

他人と共に何か一つの作業をする際、絶対的な上下関係の中にあったりしない限り

なぜそれをしなければいけないのかを説明してやらなければ動けない。

他人と共に暮らすうえで「意味」を考え、それを言葉で説明するのは必須のスキルなのだ。

「他人」といったが、この他人には「自分という他人」も含まれる。

自分に大きな自信を持っていて常に感じたままに動く人もいない訳ではないが、多くの人は自分に対しても自分の取ろうとする行動の意味を説明しなければ気が済まない。

その点、意味という言葉は「理由」という言葉の類義語でもある。

 

しかし、「意味」や「理由」が言葉によって説明されるためのものであるならば、

この二つは、感覚の後に生まれてくる副次的なものでしかない。

つまり、先に感覚として「こうしたい」というのがあって、それを人に説明するために意味や理由が生まれてくるのではないか。

「〇〇したい」(「〇〇したくない」でもいいけれど)という感覚が先にある限り、意味や理由は最終的に「よって〇〇する」という結論に達する。

乱暴に言えば、意味や理由は結論ありきで後から導かれるもので、要するにどうにでもなってしまうものなのかもしれない。

 

意味や理由は必然的に言葉という形をとって現れる。

他人に通じる言葉という条件をかければ、自分のやりたいことの意味や理由を説明するために使える言葉はそうそう多くない。

使える言葉がそうそう多くないということは、その言葉たちによって説明できる意味や理由というのもそうそう多くはならない。

人間はひとりひとり違う人生を歩み、みな違う感覚を持って暮らしている。

一方で、言葉はできるだけ多くの人(少なくとも同じ共同体、文化圏に属する人)の間で意思疎通ができるよう、個人個人の差異を切り捨てたところに成立するものだ。

例えば夕日を見て湧き起こる感情を他者と共有するために「きれいだ」という言葉がある。

でも実際は、夕日を見た時に湧き上がる感情は人によって違うはずで、同じ夕日をみて泣く人、笑う人、呆然とする人がいる。

最大公約数的な性格をもつ言葉という道具で、自分を説明しつくすのは新たな言葉を生み出さない限り不可能なのだ(そして、新たな言葉を生み出してもそれが他人に通じなければそれは言葉とは言わない)。

 

少し話がそれたが、意味や理由というのは他人を動かすために必要なものという意識は忘れるべきではないだろう。

ただの道具であるはずの言葉によって自分を説明し尽せると誤解すると、「言葉で説明できる」程度の人間にしかなれない。

しかし、どこで何をするにも意味や理由を問われるのが現代だ。

他人と一緒に行動する上で意味や理由は欠かせないものであるのは分かっているけれど、

どこにいってもそれを問われるのには疲れてしまう。

もう少し、「ただなんとなく」「ただわけもなく」という答えが許容される場所が増えるといいなと思う

疎外感の行き先 -草間彌生展から-(上)

コペンハーゲンルイジアナ現代美術館に行ってきた。

市内から電車で40分、眼前には海が広がり対岸にはスウェーデンを望む美しい場所にある美術館では、草間彌生の企画展が行われていた。

名前は知っていたけど実際に作品を見るのは初めてだ。

企画展終了まで1週間とあって多くの人が訪れていたが、海外でもこれほど人気なのかと驚いた。

 

僕にとって草間彌生とは、かわいいけど少しグロテスクな水玉模様を描く変わったおばさんであった。

しかし、その水玉模様は彼女が統合失調症であるがゆえに見る幻視・幻聴に由来するという。

それを証明するように初期の作品群は今の草間彌生が描く物より、遥かにグロテスクである。

また、彼女はヒッピーをテーマにしたインスタレーションや過激なパフォーマンスを行い前衛の女王と呼ばれていた。

そんな彼女の昔の姿と今の姿は大きく異なるような気がした。

 

最近の草間彌生ルイ・ヴィトンKDDIとのコラボレーション商品を発表したり、24時間テレビのTシャツをデザインするなどしている。

この傾向に対して「彼女のアートは資本主義的だ」と批判するのは簡単だ。

実際、草間の水玉パターンは一目でそれが彼女の作品とわかる点においてブランド化との親和性が非常に高い。

しかし、実際アートの価値は金銭的価値に置き換えられるのが普通だし、値段のつかないもの、つまり誰も欲しいと思わないものをアートだ!と宣言したところでそれがアートであると認められることはないだろう。

このアートの市場化を大胆に行ったのが草間と同じ日本出身の村上隆だろう。

彼は最も市場価値の高くなるようなアートを作ることを明言し、事実彼の作品には途方もない値段がつく。

 

 

僕の感じた違和感は「市場化」「資本主義」というワードで説明しきれるものではなかった。

今回の草間彌生展の特徴は観客が草間彌生の世界観に「親しめる」こと、「触れられる」ことだ。

しかし、そもそも彼女の作品、特に初期のものはそういう価値観と相いれるものではない。

 

 

彼女が絵を描き始めたきっかけが実際に統合失調症を原因とする幻視・幻聴にあるとして、そのような世界観に多くの普通の人(幻視・幻聴を見ない人)が「親しむ」ことなど可能なのだろうか。

彼女の初期の作品が物語っているのは「疎外」であると僕は思う。

多くの人が普通に生活しているにもかかわらず、他者には見えないものが見え、その恐怖に日々脅えねばならない

その恐怖や不安の発露が彼女の作品であったはずなのだ。

あえて「発露」という言葉を使ったのは、おそらくそのような深刻な状況への「理解」を求めて作品を作ったのではないからだ。

彼女の初期の作品は、健常者(誰を健常者とするかはさておき)には触れられぬ世界、彼岸が存在することを暗示している。

僕がどれだけ手を尽くそうとあちらの世界に渡ることはできない。

僕が精神を病んだとしても、僕が見る景色は草間のものとは異なるだろう。

同じ世界観の中にある我々に別世界の存在を提示しようという試みは、彼女の過激なパフォーマンスにも通じる。

 

そのような「疎外」の感覚は今の展示からは拭い去られている。

美術界は発露せざるをえないような疎外の感覚の表現を駆逐し

「万人のためのアート」、つまり一種の福祉のようなものになろうとしている。

そのような価値観の中では、グロテスクなものをグロテスクなまま提示してはいけないし、アートはすべての人にとってアクセス可能なものでなければならない。

ルイジアナ美術館の試みが成功であったことは、会場にあふれる人々の笑顔や「楽しい」という言葉が証明している。

この展示に対して批判的な意見を持ったわけではない。

しかし、疎外を感じる人の居場所は残されるのだろうか

 

 

<たぶん続く>

 

このブログ

どうもブログを始めてから45本もの記事を上げてきたらしい。

ふと合計記事数が目に入って、こんなに書いたのか、と思ってしまった。

たまに何かを書きたい衝動に駆られて、でもフェイスブックのタイムラインに長々と持論を書き連ねるのも恥ずかしかったのでブログを作ってみたい人だけ見ればいいやと思って始めた。

「みたい人だけ」と言ったけれど、最初は僕がだらだら書いている事なんて誰も読まないと思っていた。

ところが、知り合いから「ブログ読んでる」とか言われることがそれなりにあった。

正直、内心で「あ、けっこうみんな暇なんだな」と思っている。

このブログはけっこう長いから。

そして、そういう人が一生に一回しかない人生の数分を自分のブログを読むことに割いていると思うと、「もっと他に有意義なことがあるはずだよ!!」と叫びたくなったりもする。

ちなみに僕は他人のブログはあまり読まない。

だって長いじゃないっすか…

せっかく読んでもらっているのに完全に嫌な奴なわけだが、「読んでる」なんて言われたらどうしても嬉しくなってしまうのも事実だ。

そんな自分が嫌いになるというのも毎度のことだ。

 

一番嫌になるのは、書いた記事をSNSでシェアするときだ。

これが何人かのTLに流れるのか、

自分の備忘録とか言っといてやっぱり他人にみて欲しいんだな、

やだなー、おまえそんな奴なのかー

と、毎回逡巡する。

現に、シェアしてないやつもある。

でもやっぱり見て欲しいと思う欲求を捨てられない。

まだまだ修行が足りないようだ。

 

そんな自意識の牢屋から出ようとしない僕であるが、

書いててよかったこともいくつかある。

それは、書いてるうちにアドレナリン的なものが出て自分が頭に描いていなかった考えが浮かんでくること。

自分が書いている文章が、頭という海の底から新たなガラクタを引き上げてくるような感覚。

それは端的に言って気分がいい。

サッカーでゴールを決めたりしたときのような感覚だ。

僕は間違いなく喋るより書いた方がうまく自分を表現できる、というと大袈裟で書き言葉を使っている方がストレスが少ないというだけなのだが、ちゃんと発散していないと頭の中が渋滞してしまう。

汚い言い方をすれば、何かを書くということは僕にとって排泄なのである。

しかし、自浄していくためにも排泄は必要だ。

そんな排泄物を見せられる方はたまったものではないが…

 

このブログはきっとこの先もダラダラと更新を重ねていくはずだ。

何かおおきな目的のためにかくのではなく、特に向上心もない。

広大なインターネットというゴミの海の中でただ漂流し続ける。

ただ漂流していればいいものを、たまに目立とうとしてみたりする

そうして今日も一抹の恥ずかしさとともに僕はシェアボタンを押すのである。

ゴジラ(1954)を見て

久しぶりにゴジラを見た。

1954年の最初のやつだ。

敗戦から10年後、日本人に未だ焼きついていた戦争の記憶を呼び起こすような作品である。

もちろん僕は戦争を経験してはいないし、戦争を扱った映画を見尽くしたわけではない。

(というか普段あまり映画そのものを見ない)

でも、焼け野原になっていく東京や途中で挿入される死を覚悟した親子の会話、そして多くの遺児と共に映し出される病院の描写は戦争のイメージを喚起せずにはいられない。

黒瀬陽平によれば椹木野衣は、このゴジラを日本人が戦争の記憶を無意識化で継承するための古典として最も”マシ”なものだと言った。

 

しかし、ゴジラという空想上の怪獣を用いて戦争、あるいは原爆を表現したのはなぜか。

それは日本人にとって戦争もまた地震津波、そして怪獣の襲来と同様の一種の「災害」だったからだ。

突如、空から飛行機が飛んできて爆弾を落とし今まで人の形をしていた存在が焼け焦げていく。

そこに、人によって殺される戦争というリアリティは感じ得なかったのではないか。

その点、地上戦が行われた沖縄は特殊である。

災害の国でもある日本は、あらゆる犠牲者、つまり「もっと生きられたはずの命を途中で絶たれた人々」をまとめて「慰霊」という形で弔ってきた。

その中で、人災と天災の区別はうやむやになっていく。

その構造は東日本大震災の時も同じであった。

津波地震による被害と原子力発電所の問題はどこか一つの問題のように処理され、

どちらも天災として処理される傾向にある。

しかし、後者には明らかに人災の側面がありそもそも原子力というテクノロジー自体に内在する危険が引き起こした問題であるという点から、誰かに責任が生じることは疑いようもない。

その責任とは、東電のトップが辞めることであったり補償を完遂するというだけの意味ではない。

テクノロジーの限界を露呈した事件を引き起こした国として、どのような未来を世界に示していくのか、という問題だ。

この種の「理想を示す」という行為は日本の不得意とするところでもある。

かつて、日本は「大東亜共栄圏」という理想を掲げアジアに進出したものの、利権の獲得と表裏一体であったことや事の進め方があまりに性急で乱暴だったことから失敗に終わった。

差異たる例は、満州国の建設だろう。

民族共和をかかげ、立憲民主政の形をとりながらほとんどの権力を日本人に集中させた国家は、あらゆる民族の指示を得られぬまま瓦解した。

 

話が逸れた。

今回、ゴジラを見返してみて最も印象的だったのはゴジラ対策として巨大な高圧電線を海岸に張り巡らし、沿岸から人々を退避させた上でゴジラを撃退しようとするシーンだ。

その光景は、三陸沿岸に建設されている巨大な堤防、そして人々の高台移転と重なる。

祈りでは何も現状を変えられない事に気付いた人類であるがしかし、凄まじい速さで発展させてきた科学技術をもってしても巨大な災いへの対処はなんとも心もとない。

極端に言えば、祈りというごまかしによって解決せずとも心の平安を得ていた時代から、ごまかしに気付いたものの自然を征服するだけの技術を手にしたわけでもないという時代を僕は生きている。

 

また別の機会に書こうと思っているけれど、今ぼくのいるデンマークには地震がない。

少なくともいまここにいる間は地震で死ぬ事はないのだ。

逆に、日本人なら誰もが経験済みであると思うが、地震の最中は本当に死を意識する。

後で確認してみると震度3程度の揺れだったとしても、自分のいる建物の崩壊、津波への恐怖で心がつぶれそうになる。

そういう意識を持ち得ない社会とは大きく違うのだろうなと思う。