なすの日記

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なぜシリコンバレーの企業は壮大なビジョンを掲げるのか ーミレニアル世代と目的感ー

グーグルとかフェイスブックとかアマゾンとか、僕がなんとなくかっこいいと思っているグローバル企業には、そろってかっこいいビジョンがある。

 

グーグルなら、「世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるようにすること」 

フェイスブックなら「誰もが安心して情報を共有できる、オープンでつながりのある世界を実現したい

アマゾンなら「地球上で最もお客様を大切にする企業であること

 

大体、どんな会社もビジョンやらミッションは持っていて、

大体、聞こえのいい言葉を採用しているので、ビジョンを掲げること自体は特別なことではない。

先に掲げたグローバル企業が特殊なのは、その社員の多くが当たり前のようにビジョンに共感し、その達成のために動いている点だ。

典型的な日系大手企業でもビジョンは掲げるものの、それが現場レベルまで浸透しているかは怪しい。

そもそも、ビジョンが数年ごとに変わったりする。

 

就職活動を例に考えてみても、グーグルやフェイスブックを受けるならば、ビジョンへの理解と共感は必須であると言ってよい。

彼らのビジョンへの執着は、もはや宗教に近いと感じられることもままあり、いつも自社ロゴのTシャツを着て、自社愛を口にする。

 

一方、日系大手企業の場合、取り立ててビジョンへの理解と共感をアピールする必要はない。

ビジョンは誰でもホームページ上で確認できるがゆえに、特別なアピールにならない可能性が高い。

 

ではなぜ、シリコンバレーの新興グローバル企業(もはや新興とは言わないかもしれないが)は、大きなビジョンを持ち、それが宗教的なまでに社員に行き渡っているのか。

理由は沢山あるが、この記事ではそのうち一つを、つい先日フェイスブック創業者であるマーク・ザッカーバーグハーバード大学の卒業式で行ったスピーチの内容から考えてみたい。

(訳はこちら)

ザッカーバーグのハーバード卒業式スピーチが感動的だったので日本語訳した。 | 倉本圭造

 

このスピーチの中で、彼の提示したテーマが「目的感」だった。

ざっくり要約すると、

現代(特に先進国)は、地縁や宗教的コミュニティが解体され、人々は豊かになったものの俗に言う「大きな物語」を失ってしまった。

だからみんなで、多くの人が目的意識を持てるような大きなプロジェクトとそこに参加する自由、コミュニティを改めて作り上げよう。

みたいな話だったと思う。

 

「目的」に注目したザッカーバーグの指摘は、非常に鋭いと思う。

世の中が豊かになればなるほど、強い目的意識を持つのは難しい。

子供の頃、何不自由なく育ち、それなり以上の教育を受ければ、少なくとも生き延びることはできる。

しかし、生存から一歩離れ、自己実現や社会貢献といったことを考え始めると途端に困難に直面する。

世の中には、問題が溢れすぎていて、その中から自分が時間と労力を注ぎ、解決に取り組むものを選ぶ際に基準となるのは、「経験」だ。

しかし、恵まれた環境で育っていれば、自分を強くモチベートしてくれるような困難に直面する機会はそうそうない

あったとしても、それは貧困や暴力とは違った、受験とか面接といった「贅沢な」困難でしかないだろう。

 

社会に貢献するためのスキルはどんどん蓄積されていくにもかかわらず、そのスキルをどこに向けて発散して良いのか分からない。

これがかなり一般化したミレニアル世代の悩みだと僕は考えている。

(もちろん、ミクロレベルで見れば個人的に様々な深刻な困難に直面した人は沢山いると思うので、あくまで理念型だと思ってもらいたい。)

そういう「優秀な」若者が取りうる方向性としては、

①割り切る

②「興味」にフォーカスする

③可能性を減らさない進路に進む

④共感できるビジョン(目的)を探す

の4つが考えられる。

 

まず、①は、自分の人生を自分の欲求を満たすだけのものと割り切る態度である。

世の中には沢山の問題があるし、世界が良くなればいいとは思っているが、自分が頑張っても社会は変えられないし、何より、それなりに良い暮らしがしたい。

キレイな家に住み、美味しいものを食べ、海外旅行に行きたい。

だから、会社は自分がお金や社会的地位をもらうツールでしかないと殊更に強調する。

欲求の充足と社会貢献への意識が矛盾しているという前提の下で、矛盾を解消しようとする態度ともいえる。

多くの場合、こういう人は「短い人生を楽しみたい」と言ったり「死ぬまでにやることリスト」みたいなものを持っていたりすると思う。

この態度は、自分が社会に対して問題意識を持てないことへの罪悪感の裏返しでもある。

 

②は、自分が昔から好きだったものを軸にキャリアを模索するやり方である。

デザインやプログラミングといった一芸に秀でている人は、この方法を取ることが多い。

どのような目的かは、あまり気にせず、その手段に対して愛着を持てるかどうかで選択肢を吟味する。

手段が自己目的化した人々であり、満足度は高いかもしれないが、あくまでもビジョンんを持った人間・組織のコマでしかなくなってしまう面はある。

 

③は、自分の人生における大いなるビジョン探しはとりあえず保留し、キャリアの選択肢が狭まらないような進路を取る方法である。

コンサルティング会社を志望する人に、この傾向がみられる。

しかし、結局は保留でしかないので、いずれはビジョンの欠落に悩む時期が来るか、仕事や家族を通じてビジョンの探求を放棄することになるだろう。

 

④は、まさにグーグルやフェイスブックのやっていることだと僕は思う。

特定の人(起業家)がビジョンを打ち立て、ビジョンに欠ける「優秀な」人々が「共感」し、プロジェクトを成し遂げるために邁進する。

このビジョンが、壮大でコスモポリタン的になるほど、組織がスケールする可能性は上がる。

最初に提示したアマゾンのビジョンは「地球上で」という言葉を含んでいるように、わかりやすくコスモポリタン的である。

ビジョンがデカければデカいほど、優秀だが明確なビジョンにかけた人材が集まる。

(ここでいう「ビジョンに欠けた」という表現は、何も考えていないわけではなく、漠然と社会貢献したいとかかっこいいことがしたいという状態を含む)

グーグルやフェイスブックは、壮大な目標を掲げ、そこで働く人たちに存在意義を与える現代の宗教的組織と言えるかもしれない。

日本では「宗教的」という言葉に無意識に悪いニュアンスを読み取ってしまうが、一応、ニュートラルな意味で受け取ってもらいたい。

「宗教的」が嫌なら「超越的」とかでもよい。

 

日本の企業もこの「目的感」を真剣に考えるべきだと思う。

これから就職したり、職場で主力になる世代は、お金だけでは動かない。

「自分の人生の意味」みたいなものを真剣に考え、それに沿う組織を選ぼうと試みる。

そして、ビジョンをわりと本気で自らのモチベーションとして働く。

企業にも、自らのビジョンと社員、そして製品・サービスを首尾一貫させる努力が必要な時代なのかもしれない。

 

 参考文献