強くなるのは大変だ。
何度も書いたことがあるけれど
大学生からその先の人生は小さい頃の自分の想像が全く及ばない世界だ。
とりあえず働くだろうとは思っていたし、特定の職業に憧れを持っていた時期もないわけではないが、概して漠然としたイメージしか持っていなかった。
そうやってふらふらしながら大学生活を過ごしてきて
今やっと幾つか道筋のようなものが見えてきた。
それを簡潔にまとめると、
- 努力しなければ自分が生まれ育った環境以上の場所へは上がれないこと。
- 学校という守られた空間の外に出れば、人間は結果でしか評価されないこと。
- 大学入学以降の人生は、それまでよりもはるかに早いスピードで時が流れること。
- 「いつか」は「今」だということ。
という感じだろうか。
どれも自己啓発本に書いてありそうな言葉で、自分でも笑ってしまうけれど
思考の結論だけを切り取れば大抵自己啓発チックになるのはしょうがない。
今のままじゃやばいなあ、と感じながらも何かに向けて邁進できているわけではない。
人と同じことはしたくない、といえばかっこいいけれど
要は、頑張りたくないだけ、怠惰なだけという場合が多々ある。
誰かが泥臭く進んでいるところを自分はスマートに行けるんじゃないか、という妄想はもう捨てなければならない。
怠惰でずるい自分を乗り越えて、自分の頭の悪さや才能のなさを認識しながら何事も泥臭くやろうというスタートラインにやっと立てたような気がする。
でも、スタートラインに立ってなお違和感を感じ続ける自分がいる。
いつも「何か違う」と思い続け、セオリーのようなものに反発し続ける自分がいる。
そして、そんな天邪鬼を見て「さっさと走れよ!時間ねえんだよ!」とキレる自分もいる。
人の意見を素直に聞けないことほど不幸なことはないのではないか。
何にも納得できない。
何にも違和感を感じる。
常にモヤモヤしていて、原因のわからない違和感にイライラして、
横を見れば、走り出せない自分を尻目にひたむきに走る人たちが見える。
どんな自分になったって、自分のことを100%肯定できる日なんて来ないんじゃないか。
たとえ、一見誰かに羨ましがられるような人生を歩んだとしても。
考えることをやめれば全て解決しそうだ。
でも、きっとそれは僕にはできないだろう。
「考えるのをやめて楽になったよ」とのたまう自分を、自分として認めることはできそうもない。
とは言っても「ただ文句を垂れるだけのやつにはなりたくない」という最低のラインがあって、
せめて身の回りの人たちが自分の言葉を真剣に受け止めてくれるように結果は積まなければと思う。
自分の言葉に自信を持てるようになるには、途方もない裏付けが必要だ。
必要な努力量に怯みながらも、一つずつ積み上げるしかないということか。