なすの日記

思考を散歩させるための場所

学生最後の二か月が思った以上に息苦しいという話。

 卒業2か月前の大学生は、他のどの時期よりも慌ただしいかもしれない。最後の試験や卒論を終えて、やらなければならないことは無いけれど、「最後の学生期間」という言葉を呪文のように唱えながら、今までやってなかったようなことをやり始める。

 

 一番オーソドックスな過ごし方は、卒業旅行に行くことだろうか。「社会人になったら行く時間がないから」という理由で、結構な長期間、行きたいと思っていた場所に行く。「若いうちに」と言って体力が必要な途上国や遠い国(南米とか)に行くパターンも多い。

 

 「平日の昼間」というのもキーワードの一つかもしれない。平日の昼間からお酒が飲めるのは今だけだとか、昼間で寝れるのは今だけだとか、一日中YouTubeを見ながら過ごせるのは今だけだとか。約4年(かそれ以上)の日々を大学生として過ごしていながら、最後の数か月になって急に新しいことにチャレンジし始めるのは我ながら滑稽にも見える。

 

 社会人になって時間が無くなると言って旅行しなくなるくらいなら、旅行に対する思いなんてそれほど強くないのかもしれないとか、別に平日に一日ぶっ通しでYouTubeを見たからと言ってその時間を後から思い返したときに大切だったと思えるのだろうかとか、色んなことを考える。本当に自由な時間が欲しいとよく思うけど、与えられたら与えられたで、困ってしまう人が実は多いのかもしれない。

 

 そもそも、たった2~3か月という期間の中になぜこれほどまでに色んなことを詰めこもうとしてしまうのだろうか。なんとなく死に支度をしているみたいであまり楽しめないような気もしてくる。楽しむことを強制されている感じ。短い間に想い出を残さなければ、その後一生想い出などできないと言われているような感覚すら覚える。ただ、楽しく過ごしたいだけなのに楽しむのって難しい。そんなこと気にせず驀進できる人もいるのだろうけど。

 

 「楽しい」とか「楽しむ」って本当にいろんな場所でよく聞く言葉であり感情だけど、実際自分がどんな状況で何をすれば楽しめるのか知っている人は多くないように思う。昔、楽しいと感じたことを今やってみても楽しく感じなかったりする。期待しすぎるとあまり楽しめなかったり、逆に全く期待していないシチュエーションで楽しいという感情を覚えたりする。

 

 どこで聞いたか忘れたけれど、「楽しいと思える瞬間は、後で今日のこのことを思い出すだろうと感じる瞬間だ」と聞いたことがある。確かに友達と思い出話をするのは本当に楽しい。たぶん、年を重ねるにつれてその傾向は強くなっていくだろう。一人で何かをして、一人で思い出すのもいいけど、同じ思い出を友達と思いだせることができればもっと「楽しい」と感じられるのはあまりに「リア充」すぎだろうか。逆に言えば、友人と経験したことは結構なんでもないことでも想い出になったりする。だから、卒業してからもたくさんは想い出はできるだろうし(というかできてもらわないと悲しい)、それが「学生」とか「社会人」というタグによって優劣が決まったりするものでもないと思う。後から振り返って、「今になってはできない」ということはあるかもしれないけど。

 

 

 学生最後の2か月みたいな気合の入った「楽しむ」も悪くないけど、もっと肩ひじを張らない「楽しむ」も増えればいいなと思う。