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なすの日記

思考を散歩させるための場所

東京ナショナリズム

僕は、東京が好きだ。

田舎に住んでいたから、まだ都会を新鮮に感じられているのかもしれない。

これだけ、様々な情報があふれ、物理的な移動も便利になった世の中であっても、いまだに地方では「東京は怖い場所」であり続けている。

東京の人は冷たく、すぐに騙そうとしてくるし、しょっちゅう犯罪が起きている。

そんなイメージが地方では、再生産され続けている。

そんな悪評に東京は、どう反応してきたのか。

僕の記憶の限りでは、特に何の反論もなく、巨大なわりに無個性な街としてたたずんでいたような気がする。

 

しかし、最近、東京の自己主張が強いと感じる。
大ヒットした映画『君の名は』は、地方と東京を対比させ、明確に東京をポジティブに描いた作品だった。

今までなら、地方の「人の暖かさ」みたいなものが強調され、東京はネガティブな表現で描かれていたところだろう。

ヒットソングにも、やたら東京が出てくる。

Perfumeの「TOKYO GIRL」

三代目J Soul Brothersの「Welcome to Tokyo」

MAN WITH A MISSIONの「Dead End in Tokyo」

あと、最近ブレイク中のSuchmosの代表曲「Stay Tune」には、特に脈絡もなく「東京 Friday Night」という言葉が現れる。

 

リンクを押して、それぞれのPVを見てもらえれば分かると思うが、色調がどれも似通っている。

そして舞台は全て夜の東京。

三代目 J Soul BrothersMAN WITH A MISSIONは、海外展開を意識しているからか、海外から見た「ニッポン」的なイメージ、具体的にはサイバーパンク的なカットが多めに盛り込まれている。

歌詞もなんとなく同じようなメッセージだ。

とりあえず「東京には夢がある」といったところか。

Suchmosはたぶんバンドの方向性として「気取ってるやつみんな吹き飛べ」みたいな感じなので少し違うけども)

これらの映像に投影されているイメージは、僕らが暮らす日常の「東京」ではなく、観光客の視点を内面化した「TOKYO」だ。

 

スカスカな理由付けをすれば、東京オリンピックの存在は間違いなく大きいだろう。

しかし、仮にオリンピックが日本の別の都市で開催されたとして、都市ソングが生まれただろうか。

例え大阪でも怪しいと僕は思う。

オリンピックほど大きなイベントが、日本という小さな国土の国で開かれるのだから、「ニッポン」ソングが増えてもよさそうだ。(ニッポンソングといえば、2014年に発売された椎名林檎の「nippon」だろうか)

 

しかし、現実にはそうなっていない。

たぶん、僕らはもはや「日本」という単位で夢を見ることができなくなっているのかもしれない。

少なくとも東京で暮らす人間は、東京でしか夢を見ることができない、と思い始めているのかもしれない。

地方出身者として否定したいところだが、反論するのは難しい。

「しばらく人口増加が見込まれるのは東京くらい」という事実が色々と物語っている。

地方を盛り上げようと頑張っている人は沢山いるし、そういう人たちの試行錯誤は本当に価値あるものだと思う。

でも、これから地方が、東京のように、とまではいかずとも再び活気を取り戻し再発展する将来像は見えてこない。

もはや、日本という国そのものが衰えつつある中、僕らは最後の夢を「TOKYO」に託すしかなくなっているのかもしれない。

 

先ほど取り上げた歌たちには、「東京は他に類を見ない都市」という思想がぼんやりと反映されているような気がする。

欧米の都市とは決定的に異なるアジア的な都市でありながら、欧米と同等かそれ以上の発展を遂げた都市というの自己規定だろうか。

現に、東京を訪れる観光客は急増している。

しかし、必ずしも東京が世界の中で突出しているとは言えない。

観光客の増加は、東京に限らず、世界規模で起きている(テロがあった都市は減ったかもしれないが)

僕は行ったことがないから何とも言えないが、TOKYO的な統一感のない雑多な雰囲気は中国や韓国の大都市にも存在するだろう。

もちろん違いを探そうと思えば、そんなものはいくらでも出てくるのだ。

しかし、東京に暮らしているはずのクリエイター達が、外部から見た東京を表現しようとするのはなぜなのか。

まあ、彼らにとってはネオンの光で満たされ、みんながクラブで踊る光景こそが東京的なものなのかもしれない。

いや、やっぱりそんなの東京の日常ではないだろう。

今も昔も東京は、人でごった返し、無計画に雑多なビル群が林立する「洗練」とは程遠い街ではないか。

 

この東京愛とでもいうべきものを、僕は勝手に「東京ナショナリズム」と呼んでいる。

「東京って都市だから、ナショナルじゃないじゃん!」という突っ込みはもっともだが、都市愛を表現するための新たな単語を作るほど僕の考えは論理的に強くないし、東京への愛とかつての「愛国心」みたいなものはほぼ同じ感情だと思うので、あえてナショナリズムと呼ばせてもらう。

 

この「東京ナショナリズム」が、自分たちの目を曇らせやしないか心配だ。

世界には素晴らしい場所がたくさんあって、東京だけが特別ではない。

全て特別だ。

自分で「いかに東京がすごいか」なんてことを発信しなくても、外から訪れる「観光客」は勝手に東京の面白い側面を発見してくれる。

過剰な自意識が、東京の良さを殺してしまうかもしれない。

どう転がっても、東京オリンピックの後「東京ナショナリズム」は死ぬだろう。

厳密にいえば、東京の人口減少が始まる2025年あたりか。

その後のことを考えると怖い。

けども、まあ、今日から社会に飛び立つフレッシャーズたちがなんとかしてくれるだろう。

新社会人に幸あれ!!!(終わり方が雑)