なすの日記

思考を散歩させるための場所

ジブンゴト

「何がしたいの?」「どうなりたいの?」

僕はこの質問を数えきれないほどされてきた。

人が、生まれ持った条件から自由になればなるほど

自由意志の重要性は大きくなっていく。

他人に何かを強制させられないから、相手の意志を聞かないと物事が始まらない。

「何がしたいの?」

と聞かれて、滔々と自分の理想を答えられる人もいる。

そういう人が正直うらやましい。

僕は、その質問をされると毎回答えに窮している。

 

たぶん、やりたいことがないわけではない。

自分の中に何らかの意志がなければ、受験勉強や就職活動をやるということにはならななかったはずだ。

 野心はあるけど、そのエネルギーを何にぶつければいいのか分からないまま、

僕の20代前半は過ぎていったように思う。

エネルギーは存在しているはずなのに、自分が空っぽだという感覚が

ずっと付きまとっていた。

社会人になって、25歳になって、自分の残り時間を考えたとき、

そろそろ何とかしないとヤバいなと思い始めた。

 

思い返せば、大学に入ってから今まで中途半端なことばかりだった。

チャレンジはするし、外面はやりきったように見えるけれど、

自分として何かを主体的にやりきったという感覚がある取り組みはあまりない。

振り返ってみたことは、どれも「ジブンゴト」になっていないということだった。

 

何かを「ジブンゴト」にするのは実はすごく難しいことだと思う。

もちろん、自分ができてこなかったからというのもあるけど、

つまるところ自分の人生を「ジブンゴト」化できている人ってすごく少ないと思う。

別に、ジブンゴトにしなくても世の中は成立していく。

ほとんどのことは、自分がやらなくてもいいことばかりだ。

結局、何だって「どうでもいい」「くだらない」と言えてしまう。

 

一方で、何かに首を突っ込まないと自分の存在意義も生まれない。

本来、首を突っ込む必要のないことに首を突っ込んで、

自分がやらねばと思い込んで、初めて情熱は生まれるし、他人から必要とされる。

 

じゃあ、ジブンゴトにしようと思っても、すぐにできるもんじゃないけど、

乗り遅れているのを承知で今から頑張らないとと単純に思う。