なすの日記

思考を散歩させるための場所

日本の就活ってどんなもんよ?という話

日本で就職しようと思ったら多くの人が避けて通れないのが俗に言う「就活」だ。

僕も一応就活を経験し、単位さえ取り切れば4月から社会人になる。

結局、就活に参加し内定をもらった僕だが、就活が始まる前の就活に対するイメージは最悪だった。

何万人もの学生が同じスーツを着て、嘘を並べ、一番口の上手いやつが内定をかっさらう。

こういうイメージを持っている人はそれなりにいると思う。

根拠のない推定だが、海外生活に慣れている人ほどより就活への憎悪みたいなものが強い気がする。

ただ、就活を進める中で初めから拒否反応を持ちすぎると色々と見えなくなることがあるのではないかと思い、ここに考えたことを書いてみる。

最初に言っておくが、この記事は就活を絶対的におススメするものでもなければ、

就活に対する不満をぶちまけるものでもないし、内定の取り方を教えるものでもない。

 

初めに僕の就活ステータスをおさらいしておこう。

受けた会社の数は20社くらいであまり多くないかもしれない。

決まったのは、6月半ばでかなり遅い部類に入る。

内定は2社から(しか)もらった。

色々と予定外のことはあったが、結果的には自分の内定先に満足していて不満はない。

業界は、日系企業で広告関連という感じである。

 

見ての通り、あまり標準的な就活生ではないかもしれない。

めちゃくちゃな人数が新卒で入社する銀行なんかは受けていないし、受けた数も少ない方だと思う。

ただ、就活生が経験する合同説明会、座談会、ウェブテスト、面接、グループディスカッション等は一通り経験しているから、そこまで変な就活生ではない。

ここからは、就活を経る前の僕が就活を嫌いな理由に答える形で進めていきたい。

 

1.「リクルートスーツ着るのマジで嫌なんだけど」

 まあ、その気持ちは分かる。

就活と言えば、就活解禁と同時にニュースで流れる合同説明会(合説)の映像だろう。

数千人が髪型、服装を全て揃え企業担当者の話を聞く様はなかなかに気味が悪い。

この映像を見て、日本の就活は個性を殺す、と直感するのも無理はない。

ただ、サラリーマンとは基本的にスーツを着る人種である。

夏、アメリカのニューヨークでインターンをしていた時、金融街を通ると

うだるような暑さの中、サラリーマンたちが長袖シャツにネクタイの装備で

汗だくになりながらうろうろしていた(西海岸とかだと違うのかもしれないけど)。

猛暑の中でスーツを着ているのは日本人だけではないらしい。

 

結局スーツというのは、相手が人間としてコミュニケーションを取るに足るかを判別するためのアイテムである。

そういう判断の方法が正しいかはさておき、世の中はそういうルールで回っている。

問題は、そのルールの外に出てでも私服を着たいのか、という点だ。

僕自身、服が大好きで、いつも服を買いすぎて月末は非常に貧しい生活を送っている。

しかし、スーツを着るだけで相手の信頼を得られて面白い仕事ができるなら、スーツを着てもいいと思うタイプの人間だ。

ただ、自分の服が自分そのものであるほどの重要性を持つなら話は別だと思う。

身にまとう服そのものがあなたの強烈なステートメントであり、服無しでは自分が自分でなくなるほどなら、服装に関する条件を優先すべきだと思う。

 

就活で感じたのは、絶対スーツで行かなければならない面接は少ないということ。

私服で来い、と言われるパターンも多い。

ただ、普通はスーツで行く場を私服で行く場合は合理的な説明が求められる。

普通のビジネスシーンではスーツで臨むのが信頼という点でも合理的だ。

そこをあえて違う行動を取っている場合は、合理性が求められる。

逆に言えば、合理的であるならば私服でもOKな場合はかなりあるように思われた。

 

ここでの結論は、「私服は好きだしスーツは好きじゃないけど、もっと優先すべきことが自分にはあった」である。

 

2.「一人一人の個性を見ていない。結局しゃべれるやつが勝つんでしょ?」

この疑問は、半分当たっていて半分外れている。

大手企業となれば、何千人もの学生が殺到し1次面接は10分だけ、なんてケースは一般的だ。

正直、この短時間で分かるのは受験者の本当に一部だ。

エントリーシートだって「本当に読んでんのか?」と思った経験が何度もある。

 

ただ、就活をしていく中で気づいたけど、世の中もこんなもんなんだと思う。

まだ社会に出ていないから偉そうなことは言えないけど、お互いがお互いを知っている村でもない限り、自分の存在は叫ばないと気付いてもらえない。

多くの人は、学生の間、特に利益を提供しなくても自分を認識してくれて、長い時間を共有する中で特に主張しなくても個性を認めてくれて、意地悪をしなければそれなりに自分を尊重してくれる友人に囲まれて過ごす(学校はそんなにいい場所じゃない!と思う人もいるかもしれないが)。

良くも悪くも、学校の外の世界にそんな余裕はない。

目の前の人間は、自分に利益をもたらすのか、自分が時間を割くべき相手なのかを一瞬で値踏みされる。

だから、こちらも一瞬で相手にとって有益な人間であることを直感させなければならない。

就活は、その前哨戦というわけだ。

 

さらに加えるならば、「強烈な個性」とまで言えるものを持っている人はあまりいないと思う。

そんなことない!自分の周りにはおもろい奴がいっぱいいて、みんな個性的だ!と思うかもしれない。

しかし、人間がしっかり顔と印象を認識できる友人の数は150人だと言われている。

つまり、僕らはその150人くらいの中で「個性的」なのではないか。

何千、何万という人間の群れの中で本当に自分は「個性的」なのか。

残酷だけど、ほとんどの人は数千、数万単位の人間の中では大して目立たないし印象にも残らない(もちろん僕もそうだ)。

だから、自分がどれだけ他人と違うのかをしっかりと強調し、説明する必要があると言える。

それが就活の面接で感じる嘘っぽさの正体であり、「しゃべりの上手い奴が勝つ」と感じる原因だろう。

 

この問題に関して、違和感を向けるべき対象は就活というよりも教育制度だと思う。

今まで、二十数年間、自分のプレゼンテーションなんてほとんど練習する機会がなかったのに、就活という人生の転機において突然プレゼンスキルを求められるのはなんだか納得のいかない理不尽な感覚があった。

まあ、日ごろから社会人と関わっていれば、そんなことは当たり前なのかもしれないが。

 

3.「理由も分からずフィードバックも無しに落とされるのは嫌だ」

この点は、実際に就活をしてみてつらい要素だった。

まあまあ時間をかけて、志望度も高かったのにメールであっさり「お祈り」される。

僕自身も、なかなか内定をもらえず、精神的に追い詰められた時期もあった。

自分が落とされた理由は基本的に教えてもらえず、次に生かそうにも自分で自分の面接を振り返るしかない。

自分なりの反省を積み重ねて受け続けるしかないのだが、そこまでメンタルの強い人もそう多くないだろう。

ただ、不合格になるという点に関しては就活特有の問題とは限らない。

留学中、海外の学生も不合格が続いてなかなか決まらないときはしんどかったという旨の話を聞いたことがある。

強いて就活特有のしんどい要素を探せば、時期が限られる、学校に残るのが難しい、といった点があるかもしれない。

大手企業の就活は時期が決まっている。チャンスを逃せばまた来年だ。

つまり、自分のペースで受けることはできない(自分のペースなんてものがどれだけ有効なのかはさておき)。

また、多くの人は大学の最終学年で就活するので失敗すると留年しなければならない。

学費と生活費のほとんどを家庭が負担する(国が負担してくれない)日本では、留年が非常に大きな経済的負担となる。

僕も浪人と留学で+2年だったので、これ以上、実家に迷惑をかけられないという経済的なプレッシャーが一番大きかった。

 

2番にも関連するが、面接官が確固たる理由をもって学生を落としているかは定かではない。

なんとなくフィーリングが合わなかったから落としているだけで、フィードバックなんてやりようがないのかもしれない。

ただ、なんとなくフィーリングが合わない人間と毎日顔を突き合わせて働けるかというと微妙なところである。

特別な専門性がない限り、ほとんどの就活生の能力はそこまで変わらない(その結果が日本の教育制度のあるべき姿かと言えば疑問だが)。

だから、「人間力」とかいうほとんど中身のない偉そうな言葉が飛び交うのかもしれない。

ただ、「ビジネス」と大げさに言ってみたところで、究極的には仕事なんて人と人のコミュニケーションがほとんどだと思う。

だとすれば、地頭の良さ以上に雰囲気という言語化と定量化の難しいものが評価されるのも少しは納得できる。

少なくとも言えるのは、ノリの合わない会社に入るのは悲劇だと思う。

僕自身、それなりに志望度の高い企業の面接を受け、ある程度進んだ段階で突然「え、なんか全くノリが合わないんだけど」と感じた経験がある。

実際、面接は不合格だったし僕も何のショックも受けなかった。

とはいっても、落ちるのはつらいし理由を教えてくれないのもつらい。

改善が必要な部分だろう。

 

4.「就活のメリットってなんだ」

ここまでは就活への悪印象に対する防衛だった。

最後に、僕が就活をしてよかったと思う点を並べてみる。

ちなみに、入社後に感じるであろうメリットは分からないので就活と言うプロセスの中で感じたメリットだけを書く。

○普段会えないような人に会える。

就活で面接をしてくれるのは企業のわりと偉い人たちである。

社長が出てくる会社もある。

僕も、ツイッターで有名な某企業の役員の方に面接してもらった。

そういう人とサシで話そうとすれば、ビジネスで対等な立場になるか、講演会にでも行くしかない。

地位が高ければ偉いというわけではないが、自分の2倍近い期間を生きてきてそれなりに結果を残してきた人々である。

そういう人と話せる機会はそうそうないと思った。
面接だけでなく、OB訪問したいと言えば全く関わりがなくても興味のある業界の第一線で働く人が(普通は)タダで会ってくれる。

○自分を知れる。

全員が直面する悩みか分からないが、僕は就活の全期間を通じて自分は何がしたいのか、どんな人間なのか悩み続けていた。

自分のことを知るのは難しい。

普通に生きていて、自分がどんな人間かを振り返る機会などほとんどないからだ。

「自己分析」というとどこか嘘っぽくて、テクニカルなイメージがついてしまっているけど、要は自分は何をすれば喜び、何をされたら嫌なのか、何をやりたくないのか、何を恐れているのか、を知る作業だと思う。

自分が何をすれば喜ぶのかは決定的に重要だと思う。

「お菓子食べてれば幸せ」「寝てれば幸せ」という人もいるかもしれない。

じゃあ、無限にお菓子が出てきて、食べることと寝ること以外何もしなくていいという場面を想像してみる。

飽きそうだな、と思ったなら、お菓子と睡眠はあなたにとって重要ではあるが、本質的なことではないのかもしれない。

僕自身、自分については分からないことが多い。

ただ、一つ分かったのは、気の合う人が周りにいなければダメだ、ということだ。

では、どんな人と「気が合う」のか。

僕が一緒にいて楽しいと思うのは、変なことや新しいことを否定せず、その場が楽しくなるように努め、ノリが良い人だ。

そういう人に囲まれれば、給料が安くても仕事そのものがつらくても自分は最低限充実していると言えると思う。

 これは僕の個人的な条件なので、これから就活する人は条件に付いてゆっくり考えてみるといいと思う

 

最後に…

最初に言ったように僕はこの記事を通じて、就活を称賛したいわけではない。

正直、問題点はたくさんあると思う。

ただ、独特な習慣でところどころ非合理的だからといって、

過度に悪いイメージを想像で作り上げて叩くのは自分の可能性を狭めると思う。

自分を知って、自分のやりたいことがぼんやりとでも見えたなら就活という場を利用できないか検討してみる価値はあると思う。

私服を通すこと、自分を売り込まないこと、選考で落とされることが、自分にとって最も大事な価値なのかは考える必要がある。

就活のために髪を黒く染めてリクルートスーツを着て自分の経験を盛って話したからといって、それは負けではないと僕は思う。

自分にとってベストの環境を手に入れられないことが負けなのだ。