なすの日記

思考を散歩させるための場所

留学することの市場価値

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デンマークから帰国して約1年がたった。

月日が流れるのは本当に早くて、この1年何をしていたのかはよくわからない。

とりあえず仕事を探したり授業に出たりしていたのだと思う。

 

留学というのは、当たり前のことながら、

自分の人生を振り返ってみても、とても重要かつ思い出深い時期だった。

日本語ではない言語でコミュニケーションをとり、

全く新しい人間関係と環境の中で暮らす経験が自分史の中で大きな位置を占めるのは当然である。

一方で、帰国してすぐに日本の環境に適応し、忙しい(あるいは実際には忙しくないのに何らかの不安と焦りに追われる)生活に逆戻りした自分がいた。

デンマークで刷り込まれた時間間隔は、驚くような速さで洗い流されてしまった。

「留学とは自分にとって何だったのか」という問いが頭をもたげた。

帰国してすぐに就職活動を始め、「自分」について深く掘り下げる必要が出てきたのも

その問いを生んだ大きな理由だろう。

デンマークという珍しい国に行ったこともあって、

相手から経験を尋ねられることももちろん多かった。

そして、自分としても大きな経験であることは間違いないから、

積極的にデンマークでの留学経験を語ろうとしていた。

 

しかし、「留学経験」を語るのは非常に難しい行為でもある。

 

たかだか数か月から数年の滞在にも関わらず、

留学先の国について語られることを求められる。

自分は面接などの場を含め、幾度となく

デンマークという多くの人にとって未知の国の印象を語ってきた。

そして、

その語りが相手にとってデンマークという国の

ファーストインプレッションになったり、

北欧に対してユートピア的なイメージを持つ人の

思想を助長させたりする光景を幾度となく見てきた。

臆病な自分は、基本的に「1年だけ住んだ感想ですが」という留保を置くようにしているが、

聞いている側にとってはほとんど関係ないだろう。

一年暮らしただけで、ある国に関して特権的な地位を得てしまうというのは、

個人的には歯がゆさにも似た感情を覚えるが、

逆にその特権性に飲まれ、自分が暮らした国について語り散らしたり、

その国にまつわる活動に積極的に関わる人が出てくるのも理解できる。

 

「留学経験」の語りの困難さとしてもう一つ

「留学が自分に及ぼした影響」という問いがある。

この問いもなかなかに答えるのが難しい。

 

たまに、留学前と留学後で劇的な変化を遂げる人もいるが、

自分の場合はそうではなかった。

多大なる影響を受けたことは間違いないが、どうも具体的な言葉にならない。

「物事の考え方」とか「時間の感覚」とかそんな次元でしか語れないのである。

もちろん、留学中にインターンを経験したりもしたから、

スキル面で成長した点はある。

そのインターンデンマークでしかできないことであったのは間違いないが、

それは「インターン経験」であり、留学経験の総体ではない。

「留学が自分に及ぼした影響」を考えることは、

「留学に行かなかった自分」をパラレルに想像することでもあるはずだが、

その点に注意が払われることはあまりないように思う。

それなりのリソースを掛けて海外で暮らしたのだから、

留学に行かない方が良かったという結論が出る可能性を恐れているのかもしれない。

ただ、留学が自分の及ぼした影響が複雑であるがゆえに、

「違った視点から物事を見られるようになった」とか「世界中の人と心を交流できた」

という紋切り型の留学経験談が多く見られるのは何とも残念に思えてしまう。

 

大味な経験談や教訓のつまらなさ、画一性を支点として考えてみると、

僕らの留学経験が思えてくるのは留学中のなんでもない一コマにおける母国との小さな違いの積み重ねみたいなものなのかもしれない。

自分がいたデンマークで言えば、よく行っていた公園の広さであったり、

石畳の街路のでこぼこ加減であったり、

町中で聞こえてくるけれど意味は分からないデンマーク語の音であったり、

そういう積み重ねが、「留学して良かった」と思える根拠なのかもしれない。

しかし、それは経験したものにしか分からないし、自分の市場価値を高めてくれるものでもない。

そんな話を面接でしたって、わかってはもらえないだろう。

自分は、留学経験を語るよう求められたとき、その「豊かだが個人的で些細な経験」と「評価はされるが誰にでも語れる経験」の差を埋められず、就職活動で積極的に留学中の経験を語ることをやめてしまった(聞かれたら答えたけれど)。

もちろん、それは僕自身の力不足によるものである。

しかし、多くの留学経験者が自分の市場価値として留学経験を挙げようとする(あるいは、市場価値を高める“ため”の留学だったのかもしれないが)現状を見ると、「留学」という行為が当人を幸か不幸か強力に拘束する経験となっているようにも思う。

 

留学の価値は必ずしも自身の市場価値の向上にあるとは限らない。

目的無き留学、つまり投資に対するリターンを考慮しない留学を批判する人は実業家界隈に沢山いるが、自分はそういう人とはあまり相性が良くないのだと思う。

つまり、僕は自分の市場価値を高めることに関心がない。

しかし、常に市場価値を計られる現代において、「興味がない」で通すことも難しい。

お金に興味はないが、お金を使って実現できることには大いに興味がある。

これからも、自分の経験を加工し、市場価値があるように見せかけたうえで発信していくシチュエーションは多々あるだろう。

 

ただ、僕の中で「市場価値」というものと「留学」はあまり結びつかないし、

これからも積極的に結び付けようともしないだろう。