なすの日記

思考を散歩させるための場所

情報疲労

流れてくる情報に、反射的に反応してしまうことがある。

世の中の理不尽さに、腹が立って

自分には関係ないはずなのに怒りを表明してみたりする。

そういうことで、疲弊したりする。

世の中の情報の大半は、誰かが何らかの意図を持って発信したもの。

SNS時代の情報は、誰かに何を伝えることよりも、

読後に何らかの感情を喚起させようとしてくる。

それも、とても単純で動物的な感情。

「なぜこんな理不尽が?」

「どうしてこんなに馬鹿なの」

という怒りとか

「子猫かわいい」

みたいな感情まで。

後から、その情報がゆがめられていて、読者をの感情に対する強い指向性があったとしても、

感情はその分析よりも早く押し寄せる。

僕はそこで疲れてなにか思うことをやめてしまうけど、

憑かれたように攻撃し続ける

自分とは関係のない世界の誰かをなぜ攻撃しなければならないのだろう。

なぜ何か述べることを止められないのだろう。

 

自分の中の正義感とか、頭の良さをひけらかしたい気持ちとか

そんなところだろうか。

情報を発信する側も、情報を受け取る側も何かに憑かれている。

論理や理想といったことではなくて、もっと手前の安易で動物的な部分を揺さぶろうとする人がいる。

そこから生まれる感情に身を任せる人がいる。

どちらにしても、それは未来を思った行動ではない。

どうしようもない軽さ。

嵐が去ったあとの壊滅的な状況を何も考えない軽薄さ。

祭なのだ。

責任を問われれば、自分は関係ないというだろう。

 

後片付けをするのは知性のある人たちだ。

片づけ終わる前にまた次の嵐が来る現実には閉口する

知らない世界のことを知らない人たちがあれこれ言って、それに何かを思う自分がいる。

どこで線引きすべきなのかは難しい。