自己啓発の時代
時々、自分は何のために頑張ればいいのか分からなくなる時がある。
「時々」といっても、毎回頑張る理由が見つかるわけではなく、その時々でそれらしい理由を取り繕って自分を走らせている。
大学の勉強がこれからの人生でどう役に立つのかは分からないし、かといって就職をゴールにしたとしても、その場所でどう頑張るのかは必ず考えてしまうだろう。
家族のため
お金のため
生きていくため
暇つぶし。
どれも当たっているようで、核心をついていないような。
そもそも、面接で聞かれてそんな答えを返したら誰も僕を採用してくれないだろう。
というわけで、それらしい理由を考えるわけだけど、そのどれもが嘘でもほんとでもないグレーゾーンだ。
強いモチベーションはどこから湧いてくるのだろう。
どんな苦しい状況でも頑張りぬけるような
日々前進していることを感じられるようなモチベーションは。
自分を奮起させるような過去なんてなくて、
強烈に具現化させたい未来もなくて、
何にモチベーションを求めるかといえば、結局は自己啓発。
15分をSNS上の記事に捧げたり、1000円をビジネス本に溶かしたりして
2~3日分のやる気を買っているのが今の僕。
そこには、華々しい経歴を持つ方々の成功方法が書いてあって、
最後には、結局あきらめず頑張り続ければOKみたいなことを言っていて、
少しの間だけ「そうか、じゃあ僕も頑張ろう」という気持ちになっての繰り返し。
どう頑張れば上手くいくかという話は、世の中に無限にあふれているけれど、
なぜ頑張るのかは誰も教えてくれないし、そもそも自分が勝手に手に入れなきゃいけないものだ。
モチベーションがほしいと思って自分の過去をまさぐってみても、今さら、強烈な感情を喚起してくれることなどないし、自己啓発記事と同じくらいの効果しかない。
理想の未来のための努力も、なぜその未来が僕にとって理想なのか問われれば特に強い理由なんてなくて、そんな弱い動機で未来を語っていいものかと足踏みしてしまう。
信じるべきもの、例えば神様でもいればせっせと修練をつめるのだろうか。
そんなことを本気で言ったら神様に怒られてしまいそうだ。
頑張るために必要な好奇心とか素直な気持ちとか、いつどこに置いてきてしまったのだろう。
いつのまにか、なんでもひねくれた目で見るようになってしまっていて、
よくわからないプライドなんかをぶら下げていて、身動きがとれなくなった。
とりあえず器用にそれらしい志望理由を書いてしまうのは、いけない気がしてくる。
それでも、きれいに取り繕った文章を送り続ける。
そんな僕の嘘ともホントともつかない感情を、大人は見抜くのだろうか。
或いは、書いてしまったことを本当に信じられたらいいのだけど
そこにのめりこめない自分がいる。
自己啓発し続けなければ、前に進めない自分とどう向き合えばいいのだろう。