虚無と反抗
留学が終わった。
3年生ということで、僕は就活を始めた。
自分は何をしたいのか、どんな仕事が向いているのか。
そんなことを考えだすと、自分には何もないような気がしてくる。
履歴書でアピールすることはたくさんある。
留学して、学生団体もやって、体育会系の寮にいて、インターンもして、学園祭もやって、雑誌を作ったりもした。
でも、自分が本当に何をやりたいかと問われれば、何もでてこない。
全てが「強いて言うなら…」という前置きの下でしか、意味を持たない。
今までの人生で、自分が人生をかけてやっていきたいことなんて見つからなかった。
或いは、あったかもしれない可能性にも目をつむってきたのかもしれない。
他の可能性に目を奪われるうちに、何かを決めなければならなくなった。
やりたいことはないけど、とりあえず自立して生きていければ…
と、思うけれど
考えてみれば、特に生きたいわけでもない。
かといって、死にたいわけでもない。
何もない。
僕がいなくたって世界は回る。
何かを強く信じることができたら。
自分の感じたことを強く信じることができたなら、迷いなく前に進めるのに。
きっと迷いですら、前進になるのに。
今の自分は、迷えば迷うほど空っぽになっていく。
自分の体を風が通り抜けていくような感覚。
ほんとは、自分は存在してないんじゃないか。
ただ体だけが、そこに存在していて、高尚な「自分」なんてものは初めからなかったんじゃないか。
自分に「なぜ」と問い続けていくと、最終的には無にぶち当たる。
きっと、「なぜ」なんて考えちゃいけないんだ。
どこかで、「なぜ」と問うのをやめて、目の前のことに当たらなきゃいけないんだ。
でも、そんなことをすれば自分の中の大事なものがなくなってしまいそうで怖い。
しかし、その何かを守る価値があるのかと言われれば、それはかなり怪しい。
自分を解体して、「やりたいこと」を探し出して、それを御社に見てもらうという作業の中で、なんともいえない敗北感を感じることがある。
就活は負けなのか。
大学に入ってすぐの頃は、確かに負けだと思っていた。
どこかで自分にウソをつかなきゃいけないのに、必死になるのは馬鹿だと思っていた。
「本当にやりたいこと」なんて、本当はないんだろ?
って思っていた。
それでも、なんとなく自分の中を検索して軽く引っかかったことを、「本当」だと熱心に売り込んで。
その茶番感が嫌だったのかもしれない。
かといって起業やアカデミズムの道に進むことが正解だと思ったこともない。
自分の中に「本当」の気持ち、本当にやりたいことが芽生えるなんて思ってなかったから。
駄々をこねても、人は「やらねばならないこと」が眼前に現れると、それに一生懸命になる。
今の僕もそうだ。
授業以外に特にやることもないし、いずれは自立しなければならないし、だから、仕事を探す。
何かに負けた気がするけれど、何に負けたのかはわからない。
何と勝負をしていて、何が勝ちで何が負けなのか。
守りたかったものが、自分の中の小さな反抗心であるならば、そんなもの捨てて、目前の課題を頑張ればいいのかもしれない。
決まり切ったこと、分かり切ったこと、当たり前のこと。
そういうものを全部ぶっ壊してやりたいけど、なんでそうしたいかとか、その後どうするかとか、全くわからない。
「そういう君には、こういう道が…」と言われるのも嫌だ。
付け加えるなら、そういうことを思う高慢な自分も同じくらい嫌だ。
つまらない反抗心が、どこへ向かっていくのかは分からない。
目の前のもの全てを馬鹿にして、どこかでのたれ死んでしまうのかもしれないし、
巧妙に隠し通して、「真っ当に」生きていくのかもしれない。
願わくば、どこかで成仏してくれればいいのだけど。