なすの日記

思考を散歩させるための場所

創造性の前に

昔から自分には大きい仕事がしたいとか目立ちたい、という欲がある。

世界中を飛び回って、大きなプロジェクトに関わって、新しいアイデアをバンバン生むのだ。

折しも世間では創造性、クリエイティビティといった言葉が流行っていて、

新しいアイデアを効率的に出し、問題解決を図るというのが一つのトレンドになっている。

僕もそういう雰囲気の中で、どうすれば良いアイデアマンになれるのか考えたりするわけだが、最近、少し優先順位が変わりつつある。

 

こっちでインターンをしたりして、少し「仕事」というものに触れてみると、

自分が持っていた創造性へのイメージというのは少し崩れたというか、

創造性を考える前にやることがあるんだと学んだ。

僕の中でクリエイティビティやアイデアといった言葉は魔法の言葉で、

思いつきさえすれば、一気に問題が解決したり、儲かったりするものというイメージがあった。

まあ、そんなわけねえだろ、と言われればそれまでなんだけど、

今の創造性ブームとも言うべき状況を見ると世間一般である程度、魔法の言葉としての「クリエイティビティ」というイメージは共有されているのではないかとおもう。

世の中には「発想法」に関する本やサイトがあふれているし、フェイスブックやアップルのようなシリコンヴァレーのIT企業は、だれも想像し得なかったアイデアザッカーバーグジョブズが思いついたことから始まったようなイメージを持たれている。

 

少し、仕事というものをしてみて感じたのは、確かにアイデアをひねり出すのは大切なことだけど、そのアイデアは実現されなければ意味がない。

創造的なアイデアが実現されるまでに乗り越える道のりはとても地味なものだ。

期限までに、アイデアを分かりやすい文章にまとめて提出し、それを他人にプレゼンする。

プレゼンの前には、構成から字の大きさといったところまで推敲が必要だろう。

関係者とごはんに行ったりして良好な関係を築き、自分のアイデアの実現に協力してもらえるよう、取り計らう必要もある。

イデアが実現されると決まれば、また協力者を募り、具体的な指示を与える必要があるだろう。

お金が必要なら、めんどくさい書類を埋めて期限内に提出し、審査を待たねばならない。

さらに、このアイデアは実現してもそれが成功するかは分からない。

何かを思いついてから実現に至るプロセスは途方もなく長く、地道であり、そして、アイデアは実現されなければインパクトを与えるのは難しい(学説などは別だが)。

 

華々しいエリートサラリーマンや起業家のイメージの裏には、こういう一見地味な行いの積み重ねがあるのだとようやく理解できた。

しかし、一発で成功したかのようなストーリーばかりが流布する今の世の中で、このことに気付くのは実は難しいのではないか。

小さいころから、沢山のサクセスストーリーのハイライトばかりを見せられ、自分も将来、いっぱしの人物になりたいと思ったときに、そのいっぱしの人物が積み上げてきたであろう地味な努力に気付く機会はそうそうない。

 

そういう地道な努力が当たり前にできた上で初めて創造性が価値を持ち始めるのではないかと、最近強く思う。

反省。