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なすの日記

思考を散歩させるための場所

授業に行きたくない理由を徹底的に考えてみた。

先週、授業をさぼってしまった。

寝坊したわけではない。

いじめられているわけでもない。

体調も悪くなかった。

ただ、「行けない」と思った。

 

「行けない、とは何事だ!お前が怠惰なだけだろ!」

いや、その通りである。

「親はお前の大学にいくら払ってると思ってるんだ!」

いやはや、まったく返す言葉がない。

 

しかし、その日、体は頑として動かなかった。

僕は授業が苦手である。

話をずっと聞いているのが苦痛で、いつも気持は別の世界へ飛んでいく。

ディスカッションがあったとしても、それは、話し合いのための話し合いのようなきがして、気持が入らない。

 

日本でも授業をさぼりがちだった。

最初の頃は、「授業より意味のあることたくさんあるっしょ!!!」という

若気の至り的マインドでさぼっていたのだけど

最近は、授業をさぼったとしても大したことをしていないのに気づき、さぼりに罪悪感を感じるようになった。

そして、何度も「今日こそは…」と思い、教室に向かうけれども

身は入らないのであった。

 

デンマークに来てからはわりと頑張って授業に行っていたのだけど、

授業を楽しめるようになったわけではなく、ただ行っているだけだった。

そして、先週、ついに再び気持がぷっつり切れてしまった。

せっかくなら、自分が授業に行きたくない理由を徹底的に考えてみよう、と思い立った。

 

役に立ったのは、『未来のイノベーターはどう育つか』という本だった。

以前は、僕もとんがっていたので「イノベーション」とか「クリエーティブ」と名のつく本は全部胡散臭いと思って一蹴していたけれど、最近は丸くなったようで、たまたま創造性教育という言葉を耳にし、この本を買ってみることにした。

読み進めると、この本には僕が授業に行きたくない理由、逆に言えば、授業に行かずに何をしたかったのか、という問いへの答えが書かれていた気がするので、参考にしつつ自分の意見を書いてみようと思う。

 

まず、最もピンときたのは、「今の若者は、外的なインセンティブではなく内的なモチベーションで動く」という言葉だ。

学位の取得は、一流企業に入るために必要な前提と考えられており、だからこそ今でも多くの人が少しでも良い学歴を得ようと努力する。

人々が一流企業に入って得たいものは、名声であり、良い給料であり、安定した生活だった。

これらのものは、今でも価値を失ってはいない。

しかし、今の若者の価値観とは少しずれ始めているのではないかと思う。

僕らの世代は、建前上、「自分のやりたいことをやるのが一番」という価値観の中で育ってきた。

一方で、本当に自由にやらせてもらえた人というのは少なく、「安定した生活」という古い価値観も同時に強く刷り込まれてきた。

メディアでは、自分の生きたいように生きる型破りな人間が取り上げられ、そういう人たちがかっこいいと思っているのに、実際にそんなに自由に生きられる人間は少ない。

なぜかと問われれば、今の若者(すくなくとも僕)の中には新しい価値観と古い価値観が同居し、世の中もまだ古い価値観に従って動いている。そんな世界になんとなく流される中で、ゆっくり時間を取って自分が情熱を注いで打ち込めるものを見つけられずにいるからかもしれない。

『未来のイノベーターはどう育つか』の中では、子供時代から自分の熱中したいことに好きなだけ熱中することのできた人々が紹介されている。

彼らは、その中で自分の進むべき道を見つけ、お金や名声ではない内的なモチベーションに従って生きている。

 

問題は、子供ではなくなってしまった人たちは、どうすれば何か熱中するものを見つけ、内的なモチベーションに従って行動することができるか、ということだ。

少なくとも、今の大学のシステムは若者の内的なモチベーションを支援したり喚起するためのシステムを構築できていない(もちろん、運よく良い教授、授業にであうことはあるだろうが)。

価値観の過渡期の中で生きている今の若者たちは、内的なモチベーションに基づき何かをしたいと思いながら、どうすればモチベーションを喚起できるのか、何に対してなら情熱を持ち得るのか分からないまま、とりあえず既存のレールに乗り、日々の業務をこなしていくことになる。

 

自分のやりたいことは、高校に受かってから考えよう!

いや、やっぱり大学受験で忙しいから、大学に入ってから考えよう!

いや、やっぱり就活と単位を取るので忙しいから社会人になってから考えよう!

いや、若手の内はやることが多くて考える時間がないから、もっと高いポジションになって余裕が出てから考えよう!

と決断を先延ばしにしているうちに人は老いる。

どこかで自分の中のパラダイムと向き合い、考え方を変えていかなければならない。

 

ここで、授業の話に戻せば、大学の授業は確かに「興味深い」かもしれない。

しかし、その情報の多くはネット上や書籍で手に入るものだ。

ディスカッションだって、評価されるためのディスカッションには意味を見いだせない。

自分がなんのために、今、先生の話を聞き、他の生徒と話し合っているのかできるだけ明確であってほしい。

そして、それらは単位取得のために存在する茶番ではなく、実際に社会に関わるものであってほしい。

大学は「社会にはこんな問題がある」という知識を教えるのではなく、「問題にどうアプローチするか」という一連の過程を経験できる場であってほしい。

そして、社会に出てからは難しいであろう失敗をたくさん経験できる場であってほしい。

 

自分の話をすれば、「内的なモチベーションにしたがって何かをしたい」という思いをずっと抱えていながら、情熱を傾ける対象を探すためのチャレンジを怠っていたと思う。

授業には意味を見いだせないから行きたくないけど、かといって何かに打ち込むわけではないという思考停止の状態にあったのだ。

いろんなことにトライし、打ち込んでみて、目的意識を持てるようになれば、大学との付き合い方も少し変わってくるだろう。

 

まあしかし、ちゃんとした理由を持っていたってそれは怠惰と紙一重なのは間違いない。

冒頭に述べたように、自分が親の金で大学に通っているのもまぎれもない事実だ。

 

壮大な言い訳をかましたので来週からはちゃんと授業を受けよう…