なすの日記

思考を散歩させるための場所

お金の話

お金は時間を買うためのものだ。

「買う」という言葉を使うとややこしくなるから

お金は時間を短縮するものだ

といったほうが良いかもしれない。

お金を持っていれば持っているほど時間を自分の自由にできる時間が増える。

普段徒歩で行く場所までお金を払ってタクシーでいけば、早く着くし車中で作業ができる。

 

もし人間の寿命が無限ならば、お金は生まれなかっただろう(もっともそんな仮定はほとんど無意味だけれど)。

難解な哲学的思想も時間さえかければ自分でも到達できるかもしれない。

かっこいい服も時間さえかければ自分で作れるかもしれない。

でも、人間には寿命があっていろんなものを生きているうちに欲しいと願う。

お金をかけて本を買うことで他人が時間をかけて編み出した思想にアクセスできる。

お金をかけて服を買うことで他人が時間をかけて作った服を一瞬で自分のものにできる。

このエントリーの結論は乱暴に言えば、お金って大事だよねっていう話。

 

大学の授業が午前中で終わって午後は暇になってしまった時、あなたならどうするだろうか。

選択肢は無数にあるけれど、ほとんどの場合お金がなければ大学に残るか家に帰るしかない。

「そういう時間も大切だ!」と言われればそれまでかもしれないが

自分がすでに持っているリソースだけを使って時間を豊かにするのはけっこう難しい。

家にあるのは本、ゲーム、テレビ、パソコン…

どうしてもそういうものに触れたい日はあるしそれはそれでいいと思うけど

基本的には「やることがなくて」「ひまつぶしのために」テレビやらパソコンやらに触れることになるのがオチだ。

でも、お金があれば自分の手持ちの時間の使い方は全く別の可能性を持つことになる。

まず電車で定期圏外へ移動できる。

美術館に行くのも良いし、イベントに参加して知らない人と会うこともできるだろう。

あまりに当たり前のことを書いてしまって自分でもびっくりしているけれど

もっと大きな空き時間、長期休暇なんかでもそれは同じだ。

たった1週間の休みでもお金があれば海外にだっていける。

お金がなければ家でじっとしているしかない。

好き嫌いの問題はあっても、どっちが自分にとって有益かは一目瞭然だ。

 

ここまで書いてなんとなくわかったもらえたと思うけれど

お金は所有するものを増やすためのものではない。

いや、そのために使うのは別にいいんだけどそうじゃない見方もできるんじゃない?という話。

 

その一方で、お金をもらうためには時間が必要だ。

何かのために時間を割いて、自分の持っているものを相手に提供する必要がある。

自分の持っているものの価値が高いほど、短時間でお金を稼ぐことができる。

ところが、価値の高いものを生み出す能力を磨くにはまた時間が必要になる。

伝統工芸はその好例だろう。

一度お金が手に入るとそのお金を使ってお金を生み出すことができる。

「投資」というやつだ。

イデアが種で、お金は肥料みたいなもんだろうか。

 

でも、先に書いたように価値の高いものを生みだす能力を手に入れるには時間が必要で、その時間を短縮するのにもお金が必要だ(学校に通うのにはお金がかかるでしょ)。

だから結局同じ時間の使い方をしていると、多く元手を持っているやつが早く能力を手に入れる。

言い方を変えれば、元手相応の能力しか手に入らない。

逆に言えば、元手が少なくても人と違う時間の使い方をすれば価値を生み出せる可能性が高まる。

「人と同じ時間の使い方」を具体的に言い換えると「楽な方」、つまりほっとくと人間そうなるよねっていう方向になるだろうか(例えば一番楽なのは寝ること)。

 

 

少し話は変わるけれど、もう一つお金には面倒くさい性質があって

お金をあげる側ともらう側にはほとんどの場合、上下関係が生じてしまう。

もちろんあげる方が上、もらう方が下になる。

だからお金をくれる会社の言うことはできるだけ聞かなければならない。

反抗すればお金がもらえなくなるだけだ。(もちろん自分の能力が会社にお金をもたらしていて代替不可能なら事情は変わるけど、それは実質的にその社員がお金を会社に与える側に立っているということなので事情は変わらない。)

奨学金補助金の類は、その点が難しい。

僕自身、留学に際して奨学金をもらっているけれど、その奨学金をもらっている時点でお金を与える側(僕の場合は国)の意向に逆らうことはできない。

組織が大きくなるほど組織内で働く人は責任を取りたくないので、お金の提供に関するルールは厳しくなるし、その結果生まれるものは凡庸なものばかりだ。

かといって、お金がなければ物事が進まない

(僕の場合なら、奨学金をもらわなければ留学できなかったかもしれないが、文科省が絶対に許さないようなぶっ飛んだ時間の使い方をすればそれを補えた可能性もある)。

 

気づけばこのエントリーはなんだか自分の考えを自分のために整理したメモになってしまったけれども、

「お金で買えない幸せがある」という言葉は、正しいかもしれないけれど何かやりたいことがあるなら、それを言い訳にしてはいけないと思う。。