不惑
勉強していると不思議な気持ちになることがある。
自分は何かをやるために勉強しているのではなく、何かをやらないでおくために勉強してるんじゃないかと。
歳をとっていろんな知識や経験を積むうちに、そういう積み上げたものが
自分の言い訳のために使われていくの自覚したときは悲しい気持ちになる。
そんなつもりで僕は勉強してきたんじゃない。
そんなことのために膨大な時間を勉強に捧げてきたわけじゃない。
具体的にやりたいことがあるわけじゃない。
ただ、もっと良い暮らしをしたい。
それと、世の中がもっと良くなればいい。
それだけ。
でも、そのために具体的に何をすればいいのかわからない。
そりゃ目標が具体的じゃないんだから当たり前だ。
いつか自分は成功すると思いながら、時は過ぎていく。
何かをあきらめたような顔をして、誰からも褒められるような人生を送る自分の姿が眼に浮かぶ。
そういう言葉も、たくさんの「幸福な」大人をバカにしているようで心の中ですら呟けない。
頑張って働いて、家族を作って、それで十分なはずなのにそう思えない。
かといって、がむしゃらに走り出すこともできない僕は臆病者だ。
あらゆる思考力が、やらない理由を作り出すことに使われている気がする。
誰にも負けたくないけど努力はしたくなくて、そういうゆがんだ感情は空っぽのプライドを生んでしまった。
何を言われても全て分かっているかのような反応をしていれば、負けたことにはならない。
そんなことをしても何もならないのに。
たくさんの人をバカにして否定して、壮大な理想を掲げておけば自分が上に立てる。
そういう自分に気づいた時の絶望感たるや。
でも、僕は誰にも管理されたくないし消費もされたくない。
みんな、何を考えて生きているのだろう。
どこまで納得し、どこまで許容して、どこから許せなくなるのだろう。