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なすの日記

思考を散歩させるための場所

集団的自衛権から考える -右の傲慢、左の欺瞞ー

集団的自衛権に関する議論が盛り上がっている。

これほどの規模になったのは、間違いなく3人の憲法学者

集団的自衛権違憲としたからだろう。

 

最近は24歳の女性フリーターによる演説が話題になっている。

24歳女の子が安倍晋三に向けてスピーチ。 | 宮崎イベント情報&ライフスタイルマガジン|LAZYBOY レイジーボーイ

思えば、60年安保の時は大学生と政党の党首が反政権デモの中心だった。

全共闘日本赤軍に代表される左翼運動の失敗により

その後の日本では、社会運動と知識人への人々の期待が失われていった。

24歳のフリーター少女が反政権のアイコンとなりつつあるのも

知識人と政治への不信感を如実に表している。

 

安倍政権憲法解釈で集団的自衛権を導入しようとしたのは明らかな傲慢だ。

憲法改正という段階を「面倒だから」という理由ですっ飛ばせば

憲法の存在意義が失われるし、今後も憲法解釈の変更であらゆる法案を

通せるという前例を作ることにつながる。

世論は「反安倍」という大きな流れを形成しつつある。

これは、60年安保で安倍総理の祖父、岸信介が退陣に追い込まれたのとまったく同じ構図だ。

様々な意見の相違はあったし、そもそも多くの国民が安保の内容など理解していなかったにもかかわらず、

国会前に数万人が集まり結局、岸は法案可決と同時に辞職した。

 

そういう傲慢な政権運営は確かに問題なのだが

僕は反対派の運動の仕方にも疑問を感じる。

集団的自衛権の議論になると必ず「戦争」というワードが登場する。

確かに日本は先の大戦で甚大な被害を諸国に与えたわけだし、戦争はあってはならない。

しかし、憲法違反で議論が盛り上がったのに乗じて「戦争反対」を唱えることは正しいのか。

そもそも集団的自衛権違憲と断じた憲法学者は戦争反対“だから”違憲といったのではない。

憲法という国の根幹にあたる法をないがしろにした“から”違憲と言ったのだ。

彼らは自らの政治的主張のみに従って判断を下したのではない。

それをさも「戦争反対」という信条に引きずられて判断したかのように

論陣を張るのは学者にとっても失礼なことだろう。

 

「戦争反対」は絶対的な正義だ。

それを簡単に振りかざせば、安全保障に関する議論は全て萎縮してしまうかもしれない。

僕は、集団的自衛権に関する議論が巻き起こることは必要だとおもう。

「戦争反対」と唱える人々は、「どう国を守るべきか」という問いに答えられるのか?

その問いの典型的な答えはいつも曖昧だ。

「他国と友好関係を維持する」

といっても「どう友好関係を維持するのか」

つまり「どう戦争を防ぐか」はいつも棚上げされている。

その問いに答えられないのであればそれは「”なんとかして”平和を保つ」と言っているのと同じであり、

思考のレベルとして「なんとかしてアメリカに勝つ」と言っていた戦時中の日本軍と

なんら変わりはない。

日本において理想論ばかりを語ることは安易な精神論へと行き着き、最終的に破滅を待つだけなのだ。

 

 もう一つの疑念は「デモの先に何があるのか」ということだ。

官邸前デモやSEALDsのデモは最近盛り上がりを見せている。

デモという選択には大きな意味があると思う。

しかし、たとえデモが大規模になり目的が達成されたところで

この国の未来には何があるのか。

現実的に、今の政界で政権を担当できるのは自民党だけだろう。

民主党はあまりに多くの意見を党内に抱え込んでいる上に、さきの民主党政権の失敗で国民から見放されている。

その他の党も政権運営能力や規模の点からみて厳しいものがある。

デモで既存の政治勢力を倒した後に権力を握るにふさわしいオルタナティブが存在しないのがこの国の現状だ。。

実際、日本は歴史的に民衆のデモによって実際に変革を成し遂げたことがほとんどない。

1960年の全学連は大量の人を動員し国会に突入までかけたものの、首相の退陣という成果しか残せず、その後も自民党が政権を担い続けた。

1969年の全学連にしても同様だ。

デモの先に打ち立てるべき未来像、そしてそれを実現していくためのサステナブルな集団がこの国には存在しない。

だから、60年前から延々と安保法案という同じ内容でもめ続けているのだ。

現在のデモの唱えていることは「子供のために戦争のない未来を」というレベルだ。

そもそもどういう理論で戦争のない未来は実現されうるのか

そしてそれをどういうやり方で国政のレベルで実現させるのか。

今のデモはそれを子供世代に放り投げ、現状を否定しているにすぎない。

駄々をこねているのと同じなのだ。

 

さらに絶望的なことを言えば、日本でこのような意見を述べれば

直ちに「右翼」とか「戦争したい人間」というレッテルを貼られる。

まるで、国を批判した人間を「非国民」と断じるのと同じだ。

ここまで述べてきた中で、戦争を礼賛するということは全く言っていない。

ただ、理想を具体的に示し、実現させろと言っているだけなのに。

 

ここまで書いてきて察せられるように、

日本人の政治思想は、本質的には戦時中からあまり変わっていない。

政治的主張の中身を見れば、極端な現実主義者か理想主義者しかおらず

そのどちらもが日本人が目指すべき日本の理想像を具体的に政策レベルで示そうとはしない。

そして、自分と相容れない部分があれば直ちにレッテルを貼り議論を封殺する。 

左右両陣営が、自分たちがいかに敗戦から教訓を得たか強調しておきながら

どちらも精神構造的にはまったく変化がない。

戦後70年という節目に、日本人という集団がいかにあるべきかが問われている気がしてならない。