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なすの日記

思考を散歩させるための場所

Fly me to the moon

僕は何にでもなれる。

2~300年前の人達が流してくれた血のおかげで

僕がなりたいものになることを妨げるものはほとんどない。

自分の頑張り次第。

でも、「何にでもなれる」ということは「全てになれる」ということを意味しない。

人間はこれだけ自らを取り巻く環境を変えてきたのに、

相も変わらず僕らはいつか死んでしまう。

こうしている間にも死へのカウントダウンを刻んでいる。

時間制限の中で、僕たちはようやく一つ何かになれたら十分だ。

だからこそ「他の何者かであったかもしれない自分」という亡霊は執拗に付きまとう。

 

「何かになった自分」は「他の何かを諦めた自分」と表裏一体だ。

 

あの日、別の決断をしていたら自分はどうなっていただろう。

いや、今この瞬間こんなことを書かずに勉強していたら

僕は何になれただろう。

もっとましな何かになれたのではないか。

ブレーキのない車で、道なき道をでたらめに走っているような感覚。

どこまででも行けそうなのに、どこにも行きつかない。

 

殆どの人間は、道のない世界を自信満々に進めるほど強くない。

みんな不安でしょうがない。

だからみんな先人の残した轍を辿る。

道なき世界に道を作ることが美徳とされながら。

何をどれだけやれば、自分は何かになれるのか。

他人は自分を確固とした「何か」として認めてくれるのか。

全ては自分の判断に丸投げされている。

 

世界は、「君は何にでもなれる」という騒音に満ちている。

「いつかもっとましな何かになれる」と考えると

目の前の世界が色あせてしまう。

大しておいしくもないのにぽりぽり口に運んでしまうスナック菓子のように

大して価値もない情報がタイムラインに流れ、それをなんとなく消費する。

そうしている間に、気づかぬ間に

「何かになれる可能性」は時間とともに少しずつ消えていく。

いつしか、何物にもなれなかった自分だけが残る。

空想は頭の中に積み上がり、虚しさだけが増していく。

 

 

「悔いのないように」と言われる。

しかし、「何にでもなれる世界」の中で「他の何かになりたかった」と思わずに

生きていくことなどできるのだろうか。

きっと、「何かになる人達」は僕が途方に暮れている間に

自分で作ったコンパスを一心に見つめ、目的地への距離を縮めるのだろう。

そういう人たちの存在は僕の不安を喚起するけれど、

そうなりたいと思えない自分がどこかにいる。

いつか、そんな素直になれなかった自分を後悔する時がくるのかもしれない。

僕は何にもなりたくないのかもしれない。

 


Frank Sinatra - Fly me to the moon (with lyrics) - YouTube