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なすの日記

思考を散歩させるための場所

一人前になるには

一昔前の偉い人の経歴を見るとずいぶん長いこと学生をやっている人が多い。

院に進んだ人もいるだろうが留年している人も多い。

今の風潮だと留年はかなり避けられるものであるようだ。

留年するとその人はとても怠惰な人というレッテルを貼られたりする。

でも、ストレートに大学を卒業した場合、大学にいる年数はたったの4年。

長いようで実はとても短い。

それは大学生でも2年を過ぎたあたりで実感し始めることだし、

すでに卒業した人はもっと強く感じていることだろう。

たった4年で何を学ぶというのか。

これは、大学のカリキュラムの話ではない。

自分の中に、軸というか「俺はこうやって生きていくんだ」

という確信めいたもの手に入れられるかという話だ。

言い換えれば、「もう学生は辞めて次のステージに進もう」

と思えるようになるまでに僕たちはどれだけの時間が必要なのだろう。

僕は少なくとも4年では足りないと思っている。

3年になってやっと“学生”のうちにどうすればいいのかが見え始めた。

逆に4年も必要ない人もいるだろう。

 

でも、僕達には向き合わなければならない現実というものがあって

それは、僕らがのんびり学校を卒業することを許さない。

ここ30年で物価は2倍になった。

ところが、国立大の学費は15倍、私立大は4倍になった。

「学費を自分で出す」と言っても昔の学生と今の学生では大変さが違う。

だから、人生において大学は駆け足で出るべきステージという位置づけになった。

本当は、学費という負担とやりたいことを見つけたいという熱意の微妙なバランスの上に大学生活があって、

学費を払って大学にいるより、学生という立場を脱し社会にでてやりたいことをやらなきゃ

と思ったときに初めて大学という場所がアカデミズムの世界に生きる人以外にも価値をもつのではないか。

 

大学というのは「一人前」になる場所だと僕は勝手に思っている。

「一人前」とは自分で様々なことを判断し、その責任を負えるようになること。

大学生はすごく曖昧な時期で、高校生だと「一人前」とはみなされない(だから少年法とかがあるのだろう)

4年間で僕は「一人前」になれるんだろうか。

人生には幾つかの区切りがあって、なかでも学生時代は特殊な時期だと思う。

学生時代は親や学校に守られながら社会のいろんな側面をぼーっと見つめていたい。

湧き上がるエネルギーに身を任せて

友達と行動を起こしたり、突飛なことをしていたい。

でも、そんな悠長なことは許されないのだろう。

学生の間にたくさん勉強して“スキル”を身につけねばならないのだ。

英語、コミュニケーション能力、論理的思考。

 

少なくとも僕はそういう“スキル”を“スキル”として身につけられるような偉い人間ではない。

そういうことに違和感を感じ、反発したがる欠陥のある人間だ。

誰からも「良い」と言われることをやるのがどうしようもなく嫌だ。

テストでいい点を取ろうとしたり、みんなを好きになろうとしたり、なんでもかんでも真剣に受け取ったり、体にいいものばかり摂取しようとしたり、決まりを守ろうとしたり。

秩序を乱したいわけではないけれど、好きに生きようとしたら秩序や規範をはみ出してしまう人間だってたくさんいるのだ。

そんな人間が「一人前」になるにはどうしても長い時間がかかる。

世間からはみ出さざるをえない人間が生きていける世界はもうなくなってしまったのだろうか。