なすの日記

思考を散歩させるための場所

Mighty holes ー都市の中心に関する考察ー

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東京という都市の中心には巨大な空虚がある。

周囲を高層ビルに囲まれながら、その場所だけは緑を湛えている。

江戸時代には、江戸城という巨大な構造物があり今とは逆に江戸の町を見下ろしていたというから皮肉だ。

皇居という場所から発する力は日本における天皇の存在感を象徴している側面がある。

皇居同様、天皇という存在自体も日本の中心でありながら空虚でもあった。

一部の時代を除き、天皇は権力そのものではなく権威として機能してきた。

言い換えれば、西洋の王や中国の皇帝とは違った存在感を放つ存在なのだ。

その天皇、および皇居から発せられる力は

例えるなら近づくほどに強くなる下向きのベクトルだろう。

我々を引き寄せるわけでもなければ、排斥するわけでもない。

近づくほどその磁場は強くなり、動けなくなる。

 

都市にはその都市や国そのものを象徴する何かがある。

東京と同様に中心に空虚を持つ都市といえばニューヨークだ。

非常にわかりやすいことに、その場所には「セントラルパーク」という名が付いている。

同じ空虚でも東京とニューヨークには大きな違いがある。

それは、セントラルパークは誰もが思い思いの時間を過ごせる場所だということだ。

その場所からは人々を引き寄せる力が発せられている。

それは、アメリカという国の成り立ちを象徴しているように思える。

アメリカは移民によって建国され、様々な人種を受け入れることによって成長してきた。

世界中の人々を惹きつけるその引力の源はセントラルパークにある。

引力は「アメリカンドリーム」と換言することもできるだろう。

引き寄せられた人々はエリス島の移民局を通り、自由の女神という夢を見せられ

セントラルパークに達する。

都市の中心が人々の集まる場であるということは、

その都市の一種の意思表示でもある。

 

2001年、ニューヨークに新たな穴が開いた。

グラウンドゼロ

その場所からはセントラルパークとは逆方向の力が発せられつつある。

 

同時多発テロ以降、アメリカはその報復としてアフガニスタンイラクに次々に侵攻し

自己の力を発散させてきた。

市民は愛国心を高ぶらせ、イスラームへの排斥運動は激化した。

セントラルパークから発せられる力の正体が夢や希望だとするなら

グラウンドゼロから生まれる力は「その日死ぬはずのなかった人々の死」によって生じた憎しみや悲しみ、そして異教徒への恐怖だ。

今のアメリカは二つの力がせめぎあっているように見える。