違和感を突き詰める
皆さんは日々暮らす中で「違和感」を感じることはありますか?
もっと噛み砕けば、「あれっ、なんか違くね?」という感覚です。
そういう感情が湧いたとき、あなたならどうしますか?
僕は最近、この「違和感」という感覚がすごく大切なものだと思っています。
「違和感」という言葉をさらに解きほぐすと
「自分と周囲の世界のずれ」と還元できると思います。
世間では当たり前のことでもなんだかおかしい気がする。
でも、みんなそれに従っているし、わざわざ逆らうのも大変そうだ。
こういう感覚は誰しも味わったことがあるのではないでしょうか。
なぜこの違和感が大切かというと、そこに「自分」という存在が現れているからです。
「自分」という存在は自分なのに把握するのが難しい存在です。
「あなたはどういう人間ですか?」と問われて
言葉で自分という存在を説明し尽くせる人はまずいません。
逆に言えば、自分を理解するには違和感を利用する必要があるのです。
人間は究極的には「これは違う」という否定を繰り返すことでしか自分の輪郭を確定できないのだと思います。
みんなが何気なくやっていてもどうしても違和感を感じる、やりたくないと思ってしまう。
そんな違和感にであったら、まずそれを捨てないようにします。
次に違和感の出処を探ります。
なぜ僕はこのことに違和感を感じるのか。
自分自身の例をあげると、この前書いた人質事件に関する記事も違和感から生まれました。
自己責任論には違和感を感じる。けど、とにかく身代金を払えって思ってるわけでもない。
そう考えているうちに自分の違和感の出処に気づきました。
気をつけることは、違和感は「妥協」によっていとも簡単に葬られます。
それを繰り返せば違和感を感じない人間になってしまいます。
自分の違和感を言葉にするにはある程度引き出しが必要です。
それは知識でも経験でもあるわけですが、
そういう違和感をに立ち向かって自分という存在を可視化するために勉強するのかなと思ったりもします。
僕はまだ人生経験の浅い大学生ですからあまり偉そうなことは言えないのですが、
正面から違和感と向き合い、一つ一つ答えを出していく。
積み上がった答えが「自分」という存在そのものであり、
その「自分」は「学生」や「社会人」という肩書きによって表されるものではありません。
「自分の名前(僕なら那須優一)」としてしか表しようのない自分、人生になりえるのではないでしょうか。
違和感に向き合い続ければ、「人と違うことをしなきゃ」「普通じゃないことをしなきゃ」なんて気合いを入れなくても勝手に他人とは違う存在になるでしょう。
だって普通や他者と違うということが「違和感」なんですから。