遍在する富、固定される格差。イスラム革命の始まり。
この世の中には裕福な者と貧しい者がいる。
これは人間に限らず国家間でも同じことだ。
なぜこの格差が生まれるのだろうか。
裕福な者は優れており、貧しいものは劣っているのだろうか。
確かに両者が分かれる分岐点においてはそれは正しいのかもしれない。
しかし、その格差が定常化した場合は違う。
今回は格差が固定される仕組みを考えたい。
その仕組みにはマクロなものもあればミクロのものもある。
まずはマクロ。
なぜ裕福な国と貧しい国があるのか。
その答えは単純で裕福な国が貧しい国を収奪しているからにすぎない。
資源を持っていても先進国の企業がそれを採掘し、利益は先進国に入る。
途上国の人々はその利益のごく一部だけしか得られず、新たな投資を行うこともできない。
しかし、少し考えれば分かるようなこの仕組みも地球規模になれば分かりづらい。
途上国の民衆にしてみれば自分たちが貧しい原因は自国の政府の腐敗のせいに映るかも知れないし、仮に先進国のせいだと分かっても大きな力の前に抵抗できずに終わってしまう。途上国の政治家たちは十分な利益を得ているのでそれを簡単に手放そうとはしないだろう。
こうして裕福な者は裕福なまま、貧しいものは貧しいままになる。
ここまではある程度一般的な議論かも知れない。
でも、この状況を変えようとする動きが現れはじめた。
それが中東に端を発するテロリズムだ。
イスラム原理主義者たちは貧しさの理由を先進国による搾取だと看破し
暴力による解決を模索し始めた者たちと言える。
イスラムの名を冠するのはあくまで正当化のための手段にすぎない。
これを始まりつつある「イスラム革命」だと言う人もいる。
パリで起きたテロもこの動きに位置づけられる。
しかし、この問題には「移民」の問題も絡んでいる。
移民もミクロ的な意味で格差を固定する仕組みの一つだ。
いうまでもなく移民は「安価な労働力」として導入される。
安価な労働力であるならば貧しいのは自明だ。
問題は移民2世以降の世代だ。
1世は自分たちに降りかかる苦難をある程度承知している面もある。
しかし、移住先で生まれた2世以降の世代は違う。
例えば、アルジェリア系移民なら
彼らはフランスで生まれ、フランスで育ったフランス人だ。
しかし、構造的問題から貧しい立場から抜けることは難しく、差別も受ける。
制度的には同じフランス人なのに、純粋なフランス人は彼らに
「安価な労働力」であり続けることを望む。
この仕組みの中で不満が噴出するのは当然だ。
構造が見えづらい世界規模の搾取に比べ、移民問題は分かりやすい。
彼らが街を歩けば制度的には「同じフランス人」の裕福な人々が目に入るし、
自分たちの同朋が貧しい立場にあるのが一目で分かってしまう。
母国に見放されたと感じた彼らは自らのルーツに力を求めるようになるだろう。
テロという暴力は弁解の余地なく非難されるべきだが、
この搾取の構造が変わらない限り暴力は止まないだろう。
何不自由なく暮らしてきた裕福な我々はその富がどこからやってくるのか
考える必要がある。
格差が固定された世界に生きる自分は
自分の努力や能力ではなく
恵まれたシステムの上に落ちただけだということを忘れずにいたい。