「選挙」だけが政治参加なのか
先日、衆議院議院選挙があった。
個人的に印象的だったのはあらゆる人が異口同音に
「選挙に行こう!意見を表明しよう!政治を変えよう!」
と叫んでいたこと。
身の回りの学生も知識人も芸能人も同じだった。
でも、あんなよくわからない選挙で何の意見を表明しろと言うのだろう。
そもそも政治参加の方法が選挙だけというのはおかしいのではないか。
小選挙区でも良い候補者がいるとは限らない。
選挙はこんなに選択肢が限られた「貧しい」政治参加の方法なのに
信じられないほど多くの人が「選挙こそが唯一の政治参加の方法だ!」
と言ってはばからない。
みな違う思想を持っているはずだ。
全員の理想を選挙で実現するのは不可能だ。
一定数の人間が選挙に虚無感を感じるのは当然と言える。
でも、「選挙に行こう!」運動はまるでみんなが同じ目標を持っていて
投票すればそれが達成されるかのような空気感がある。
その楽観的な雰囲気が選挙に付き物の虚無感・無力感を隠蔽している。
選挙という多数決をとればマイノリティにとって不利になるのは誰でもわかる。
では、これだけみんなの大好きな選挙を批判しておいて
他にどんな政治参加が残されているのか。
そもそも選挙とは、投票日までに自分が持っている意見を表明する場所だ。
だから、実質的に選挙をやる前に選挙の勝敗はわかっていると言ってよい。
投票日2週間前の選挙運動で毎回自分の意見を決めるという人は実は少なくて、
その根底にある思想はそれぞれの人の根底に関わるものだ。
(余談だが、投票日直前の選挙運動で自分の考えを決めるのが普通という雰囲気があること自体、日本の政治の未熟さの証明かもしれない。)
本当に必要なのは自分の持っている意見が多数派となるよう活動することではないか。
本当に自分のやりたいことを実現するためならそれが当然だと思う。
しかし、多くの人にとって、特に日本人にとって
自分の意見を声高に主張したり政治的見解に関して他人と議論するのは難しいかもしれない。
でも、選挙を通して意見を伝えるということは
投票日に投票にいくだけのことではなく、折に触れて自分の政治的意見を表明し
自分のできる範囲でやれることをやった上で最後に投票するということではないか。
ここで語ったことは理想論だし実現するのは難しいかもしれない。
でも、逆に「投票しよう!」とバカのひとつ覚えみたいに叫んでいるだけでは
その虚無感をぬぐえない人々が投票に行かなくなるのはまぎれもない現実ではないか。
投票にいくだけでは何も変わらない。
「投票に行くことだけが政治参加だ!」と言ってはばからない人たちは思考停止だ。
とりあえずそれだけを言っておきたかった雑記。