デンマーク最古の町から -塔の上で見えたもの-
旅行の目的地というのは大概、大きな都市か景勝地である。
特に海外にいて地方の町に行く機会はなかなかない。
先日、同じフラットの友人に連れられるがままにデンマークの田舎を訪れた。
町の名は「リーベ(Ribe)」。
調べてみると、デンマーク最古の都市であり、紀元800年ころから町が存在したらしい。
とはいっても、ついぞ聞いたことのない町である。
デンマークに半年以上暮らしても、その名を耳にすることはなかった。
人口は約8000人。
昔、10年ほど人口4000人ほどの町に暮らしていた。
リーベの町はその規模感に似ていた。
町にくり出したとき、天気は快晴だった。
デンマークの冬は曇ることが多いけれど、晴れるときはとことん晴れる。
山と高い建物がないから空が広い。
首都コペンハーゲンですらそう感じさせるのだから、田舎などなおさらだ。
リーベの町の真ん中には大きな聖堂がある。
リーベ大聖堂は12世紀初頭に建設が始まり、13世紀末には60mほどの塔が完成した。
この塔が長らくデンマークで最も高い建物だったらしい。
塔には上ることができる。
長く狭い階段を上がっていくと頂上にたどり着く。
上から見る景色は想像以上に素晴らしかった。
視界を遮るものが何もない。
見渡す限りの田園風景だ。
美しい景色はしばしば人を麻痺させる。
目の前の風景を見て、その素晴らしさを伝えたいのだけど
そこに言葉を当てはめることすら野暮なように思えてくる。
それでも何かを述べてみようとするのは僕の性なのだろう。
人工の美しさと風景の美しさは、そこから受ける感動が少し違う。
どちらが優れているというわけではない。
そこで「やはり自然のほうが美しい」という陳腐な言葉を言ってのけられるほど僕は素直ではない。
ただ、人間の作り出した美しさには「意志」がある。
一方で、自然には「意志」がない。
人工物は何かの目的のために存在しているが、自然は違う。
ただ、そこにあるのだ。
私たちに美しい物を見せようとするわけでもなくただそこにある。
それを人間が勝手に美しいと感じるだけなのだ。
人間として生きる以上、「ただ存在する」というのは不可能に近い。
常に何かのために思考し、行動する。
それが個人的な動機だろうと他者のためであろうと意図を意識せずに存在することは難しい。
ただ、自然を感じるとき、人間にも「ただ存在する」ということが許されるような気がする。
同じようなことをアイスランドでも感じた。
僕たちは常に目的や意図をもっていて、それは人として生きる上で大切なことだ。
というより、目的や意図への自覚こそが人を人足らしめるのかもしれないとさえ思う。
しかし、常に目的を達成できるわけではないし、常にうまくいくわけではない。
そんな時、自然は僕を否定も肯定もしない。
何も言わない。今も昔もこれからも。
それは、僕にとって救いだ。
ただ、なんの目的も意図も価値もなく存在していていいのだ、と思わせてくれる。
ある意味で、それは僕に対する肯定なのだ。
いざというときは、すべて投げ出して旅に出たっていいのだ。
それを確認した時、僕は再び日常へと帰っていくことができる。
そうして、自然に対して解釈を加えてしまうことそのものが人間の悲しい性なのだろう。
自然と一体になることはできない。
常に自然と自分との間に違和感を感じ、時には自然を壊し、時には接近してみたりする。
同じようなことを昔の人も感じたのだろうか。
700年前に大聖堂の塔に上った人たちは何を感じたのだろうか。
見渡す限りの平原、地平線の先に好奇心を喚起されたのか、あまりの広大さに呆然としたのか。
見下ろすと、田畑の中に道路があり、車が走っている。
700年前の人は見なかった景色だ。
一瞬、邪魔に思えたけれど、僕が2016年を生きているからこそ見えた景色だ。
そう思うとなんだか素敵なものに思えてきた。
自分たちの息子や娘はどんな景色を見るのだろう。
車は空を飛んでいるだろうか。吹く風は同じだろうか。
ふと、自分に子供ができたらここに来てほしいと思った。
自分とは違う景色を同じ場所から眺めてほしいと。
一人の人生はたかだか80年だけれど、別の誰かが同じ場所から景色を見渡し、何かを感じてくれるのなら、それはそれでいいかもしれないと思える。
同じように、僕は700年前かある場所から700年前とは少し違う景色を見たのだ。
ただの妄想と言ってしまえばそれまでだけど、そういう感慨に浸れるのは人間の特権なのかもしれない。
逸脱者たちへ
またテロが起こってしまった。
たくさんの悲しみと憎しみが渦巻くのを目の当たりにしても、何もできない無力感が襲う。
パリの時と同様、多くの人が連帯を表明した。
「私たちはベルギーとともにある」
「テロには屈しない」
無差別的な犯罪が起きたとき、誰しもが「自分が被害者だったかもしれない」あるいは「これから被害者になるかもしれない」と想像する。
だから、何も言わずにはいられない。
日常を生き続けられるよう自分を奮い立たせるために「友情」や「連帯」、「不屈」といった言葉を並べ、街に繰り出すのだ。
しかし、その「連帯」にはどれだけの人間が含まれているのだろう。
「結束」は「敵対」とコインの裏表だ。
戦うべき敵がいるからこそ結束する。
しかし、僕らは誰と戦うのだろう。
過激派だろうか。
それは、正しいように見えて、実は重大な誤りを含んでいるように思う。
多少なりとも良識がある人なら、「西洋vsイスラム」という見方はしない。
多くのムスリムはテロなど起こさないからだ。
では、過激派とは何なのか。
確かにここ最近のテロはすべてイスラム過激派が関与している。
それでは、過激派を名乗る人・組織を全滅すれば世界は平和になるのだろうか。
僕はそうは思わない。
いつの時代もテロは存在した。
地域の独立や、圧政からの解放、新たなる理想を掲げ暴力的な手段に訴える人間は常に存在する。
1970年代には世界中で左翼グループがテロ事件を起こした。
日本でオウムがテロを起こしたのは20年ほど前だ。
もちろん時代ごとにその内実は異なるかもしれない。
現代のテロには組織的というより、ある思想に感化された個人、あるいは非常に小さなグループが事件を起こすという特徴がある。
一方で、テロを助長する思想は時代ごとに違うにしても、その根本にあるものは同じなのではないかと思う。
現代社会の主要な要素の一つに人権がある。
人は生まれながらにしてある種の社会的な権利を有しているという思想である。
この考え方では、個人は世界に一つしかない尊重されるべき存在である。
しかし、現実はどうだろう。
自分は本当に代替不可能な人間なのだろうか。
自分より優秀な人はいくらでもいて、自分がいなくても社会も仕事も回っていく。
資本主義の世界では、自分という存在に給料という形で値段がつけられる。
誰もが自分の価値をリアルに知ることになる。
自分は世界にただ一人の人間ではないのか、尊重されるべきではないのか。
そんな問いは常に現代人の頭をよぎる。
多くの人は、ある時点で折り合いをつけて生きていく。
しかし、生まれながらにしてある種の偏見や差別など理不尽の中で生きていたとしたら。
そういう理由から、自分の中に生じる違和感に折り合いをつけることができないとしたら。
傍目には普通の生活を送っているように見えても、心の中では疎外を感じているとしたら。
自分という存在の価値や意義を確かに感じるために、何らかの思想にすがるのは人の常だ。
それがイスラム過激主義だろうと新興宗教だろうと環境保護だろうと同じこと。
その中でも暴力とそこから引き起こされる恐怖は他者に自分の力を知らしめる最も安易な手段だ。
過激な行動の支柱となる思想がどういうものであろうと、最終的に行き着く先は暴力だ。
自分の存在を正当化するための手段として暴力を用いるのは明らかに怠惰で、身勝手な思考だ。
誰も殺さなくても努力すれば誰かに認められることはできる。
その点において、テロリズムに走る人たちを許すことは絶対にできない。
しかし、彼らが抱えているような疎外感や不安を感じる人間は決して少なくない。
それは、大なり小なり誰の心にも存在する。
たまたま自分は周囲の環境に恵まれただけではないのか。
自分が少しでも違う境遇の中にいたら、同じような思想に走ったのではないか。
そういう想像、そして恐怖は常に僕の中にある。
自分が被害者になるかもしれないという想像をする人は多いが、
自分が加害者になるかもしれない、あるいはなりえたかもしれないと想像する人はどれくらいいるのだろう。
僕の場合、そんな想像から生まれる感情は同情ではなく、恐怖だ。
同情など間違ってもしないけれど、自分が何らかの思想に救いを求め、ルールを逸脱することがありえたかもしれない。
今、自分がいわゆる「まとも」な人間として生きていられるのは単なる偶然なのではないか。
犯罪者になりえたかもしれないという想像なんてとんでもないと思うかもしれない。
しかし、その想像力は重要であるように思う。
テロリストを人間ではないある種の悪魔のように見立て、ただ排除するだけでは何も解決しない。
どんな状況でも疎外感・違和感を感じる人間はいる。
疎外感を感じる人間がいれば存在を認めてやり、
違和感を感じる人間がいればそれを正しい方向に昇華させる術を共に考えなければならない。
悲惨な出来事を目にしたとき、何かしなければいけないと思うのは普通のことだ。
しかし、あまりに多くの情報にさらされる現代に生きる我々は、どんな悲惨なことも自分に直接関係ない限り簡単に忘れてしまう。
いや、忘れるのではない。
飽きるのだ。
SNS上に氾濫するインスタントな連帯の表明は、新たな疎外を生むだろう。
なぜ遠い国の死者には祈り、身近な苦しみには目を向けてくれないのか。
なぜ豊かな人間の少数の死には涙するのに、貧しい国での多くの死には無関心なのか。
そんな疑念、不信感は強い負の感情へと変わっていく。
そうこうしているうちに人々の関心は新たな方向に向かっていく。
テロの度に拡散されるようになったポップなイラスト、キャッチコピーは、あと何度かすれば飽きられるだろう。
そして新たな形の「哀悼の意」が流行るのだ。
人々の関心が偏るのは仕方のないことだと思う。
どこにあるのかすらよくわからないような国で1000人死ぬのと、自分と同じような生活レベルの国で30人死ぬのとでは感じるものが違うのはしょうがない。
しかし、哀悼の意がネット上で拡散された途端に、その拡散度合いが人の命の価値を否が応でも見せつけてしまう。
貧しい国で起きたテロにも哀悼の意を表すればいいという話ではない。
氾濫する投稿が、不平等や疎外感といった人間がはるか昔から抱える負の側面と向き合う覚悟と思慮を持っているようには、僕は見えない。
ただ、自分を揺さぶる感情に従って衝動的に意思表明をすればいいのかもしれない。
ひょっとすると世界を救うのはSNS上で表明される「愛」なのかもしれない。
しかし、僕はそんなに素直にはなれない。
僕もまた、違和感と疎外感を抱える逸脱者なのだろう。
あなたの普通と僕の普通は違います。
選挙の際に低い投票率が懸念され、実際に低投票率に終わるというのは近年おなじみの光景となった。
選挙ポスターにはアイドルが起用され、まるで選挙に行っていないのは若者だけだ!と言いたいかのようだ。
それは去年の統一地方選の時も同じだった。
選挙番組は投票率の話に割かれている時間がとても多い気がした。
実を言うと、投票結果が出るまで僕の感覚は違っていた。
Twitterのタイムラインには自分のフォローしている人たち(多くは友人)が投票に行ったことをツイートしていた。
普段ツイートしないような人も「投票行ってきた」とつぶやいたりしていて内心かなりびっくりした。
フォローしている人は皆投票したのではないかと思うくらい、TLは選挙ツイートで埋まっていた。
選挙に行かないと言われる若者がこれだけ投票に行っているのだ、今回は多少なりとも投票率が上がるに違いない。
もちろんその推定の根拠はツイッターだけなので他人には言わなかったけれども
僕はそんなことをぼんやり思っていた。
しかし、蓋を開けてみれば大方の予想どおり平均投票率は最低を更新した。
ここまで、選挙の話をしてきたけれど今回の主題は違うところにある。
投票率の低下にはいろいろなり理由があるだろうが、この件で僕が最も感じたのは
自分は特殊な環境にいるということだ。
2014年の衆議院選挙の結果を比べてみよう。
【アンケート結果】難関大学生の衆議院議員総選挙の投票率74%。景気・消費税増税に大きな関心。(アンケート)|t-news Web
きちんとした統計ではないが、難関大学生の投票率を調べた調査があった。
582名に調査し、投票率は74%。だった。
2倍以上の開きがある。
この結果から言えるのは、僕の「身の回り」の動向は日本の一般的な動向とは違うということだ。
つまり、僕の周囲にAの意見を持っている人が多いからといって、日本人はAの意見を持っている、とは言えないし言ってはいけない。
文章にすれば当たり前だけれども、私的な会話(ブログなども含む)では実際このような一般化を無意識のうちにやってしまいがちだ。
「一般論」は自分のいる環境に大きく依存している。
最近目に付いた記事に「最近の若者は元気がない」という趣旨のものがあった。
【正論】「欲ない、夢ない、やる気ない」……現代日本の最大の危機はこの「3Y」にある 作家・堺屋太一(1/5ページ) - 産経ニュース
まあ産経だし堺屋さんはもう80歳のご老人だし記事の内容は真に受ける必要はないと思うが
にしてもこの人の意見と僕の意見は違う。
僕の「身の回り」には起業意欲のある人はそれなりにいるし、留学に行く人も沢山いる。
(ちなみにこの「身の回り」は直接の知り合いだけでなく、知り合いの知り合いくらいまで含めている)
僕と堺屋さんの見解の相違は「身の回り」、つまりは二人が身を置く環境の違いに起因するものだと思う。
僕の周りには大きな夢を持った人がいて、彼の身の回りにはいない(というかそもそも若者との関わりが少ないと思うのだけど…)
その違いが、意見の相違を生む。
意見が違うだけならいいのだけど、そこでお互いが自分の身の回りを一般化して「僕の身の回りでは〜」と言いながら違う主張をすれば話がかみ合わない。
「大きな夢を持っている若者はこれだけいて、例えばこの人は社会問題解決のために起業しました」という反例をあげればこの産経の記事には反論できるかもしれない。
しかし、僕がいる環境もまた先ほど述べた通りやはり特殊で、「日本人」というレベルにまでは一般化できない。
例えば、僕の周囲には就活で日系大企業、外資系あるいは官僚を目指す人が多い。
しかし、日本に存在する企業の99%以上は中小企業であって大企業ではないし、キャリア官僚と呼ばれる人は日本に1万5000人しかいない。
僕の普通は他人の普通ではない。
安易な一般化は留学生が特に気をつけたいことでもある。
留学先での目新しい体験を全てその国独自のものとして一般化してしまうと
物事を分析する自分の目にバイアスがかかるし、他人にそのことを話せば他人にもバイアスを与えてしまう。
正直いって安易に一般化して「日本人は〜」というふうに語るのは楽だし盛り上がる。
いちいち「僕の身の回りの話だけどね」と注釈を入れるのも面倒くさい。
ただ、その結果として世間を見るためのレンズを曇らせたりしてはいけない。
なにより、自分の世界が狭くなる。
いわゆる「日本人」は集団主義的で控えめかもしれないけれど、それにあてはまらない人なんていくらでもいる。
僕が一番嫌なのは自分の身の回りの状況を一般化し、「日本人は〜」という語り出しで不満を述べることだ。
たまに「日本人は〇〇だからだめなんだ」と誰かに言われて「いや、そんなことないと思うけどな。君のまわりだけじゃないのかな」と思うことがある。
日本人が共通してもつ空気感みたいなのはそりゃあるだろうが、せめて「日本人」という括りで話すのならきちんとした研究を参照してから言って欲しいといつも思う。
自分の場合で言えば、安易な一般化をしてしまう時は思考が止まっていると思う。
自分が感じた違和感はすぐに一般化せず、どこに問題があるのかきちんと考えるようにしたい。
強くなるのは大変だ。
何度も書いたことがあるけれど
大学生からその先の人生は小さい頃の自分の想像が全く及ばない世界だ。
とりあえず働くだろうとは思っていたし、特定の職業に憧れを持っていた時期もないわけではないが、概して漠然としたイメージしか持っていなかった。
そうやってふらふらしながら大学生活を過ごしてきて
今やっと幾つか道筋のようなものが見えてきた。
それを簡潔にまとめると、
- 努力しなければ自分が生まれ育った環境以上の場所へは上がれないこと。
- 学校という守られた空間の外に出れば、人間は結果でしか評価されないこと。
- 大学入学以降の人生は、それまでよりもはるかに早いスピードで時が流れること。
- 「いつか」は「今」だということ。
という感じだろうか。
どれも自己啓発本に書いてありそうな言葉で、自分でも笑ってしまうけれど
思考の結論だけを切り取れば大抵自己啓発チックになるのはしょうがない。
今のままじゃやばいなあ、と感じながらも何かに向けて邁進できているわけではない。
人と同じことはしたくない、といえばかっこいいけれど
要は、頑張りたくないだけ、怠惰なだけという場合が多々ある。
誰かが泥臭く進んでいるところを自分はスマートに行けるんじゃないか、という妄想はもう捨てなければならない。
怠惰でずるい自分を乗り越えて、自分の頭の悪さや才能のなさを認識しながら何事も泥臭くやろうというスタートラインにやっと立てたような気がする。
でも、スタートラインに立ってなお違和感を感じ続ける自分がいる。
いつも「何か違う」と思い続け、セオリーのようなものに反発し続ける自分がいる。
そして、そんな天邪鬼を見て「さっさと走れよ!時間ねえんだよ!」とキレる自分もいる。
人の意見を素直に聞けないことほど不幸なことはないのではないか。
何にも納得できない。
何にも違和感を感じる。
常にモヤモヤしていて、原因のわからない違和感にイライラして、
横を見れば、走り出せない自分を尻目にひたむきに走る人たちが見える。
どんな自分になったって、自分のことを100%肯定できる日なんて来ないんじゃないか。
たとえ、一見誰かに羨ましがられるような人生を歩んだとしても。
考えることをやめれば全て解決しそうだ。
でも、きっとそれは僕にはできないだろう。
「考えるのをやめて楽になったよ」とのたまう自分を、自分として認めることはできそうもない。
とは言っても「ただ文句を垂れるだけのやつにはなりたくない」という最低のラインがあって、
せめて身の回りの人たちが自分の言葉を真剣に受け止めてくれるように結果は積まなければと思う。
自分の言葉に自信を持てるようになるには、途方もない裏付けが必要だ。
必要な努力量に怯みながらも、一つずつ積み上げるしかないということか。
やっとけばよかったと思うこと 1
いま僕は22歳だ。
4月には23歳になる。
世間的には若者の部類に入る。
自分でも若いと思っている。
客観的にみても主観的にみてもまだまだペーペーなのだが、
一応、22年生きるとものすごく大切な思い出とか思い返すだけで悔しい後悔なんかを多少経験していたりする。
なんとなく思い立ったので、「やってよかったこと」と「やらずに後悔したこと」を書き連ねてみようと思う。
1. 年上の人ともっと絡めばよかった。
僕は「先輩」という人種に対して無条件に恐怖心を感じるタチだ。
それはべつにゴリゴリの男子寮に入ったからというわけではなく、元々そうなのだ。
逆に、東京で住んでいた男子寮に入っていなかったら今より酷かっただろう。
だから自分が絡むのは高校でも大学でも同級生が多かった。
でも、最近もっと大人と絡んでおけばよかったと思う。
もちろんまだまだ巻き返し可能なのでこれからはたくさん年上の人と話そうと思う。
人生は一人一人違うけれど、それぞれに起こるライフイベントは実はそんなに大差ない(特に日本では)。
大学に行った人なら1年目は大学の中で何を頑張ろうか迷うし3年くらいになると就活に悩みだす。
自分が抱えている悩みの多くを年上の人は既に経験しているのだ。
大学に入って学生団体とかやってたけど、なんでもっと大人(社会人)と関わらなかったんだろうと後悔している。
機会はいくらでもあったのに。
2. 人のすごさは結果・仕事量で判断する。
大学に入ると高校よりもいろんなタイプの人間に出会う。
僕が地方から出てきたというのもあるのだろうけど、自分より優秀な人が無限に存在することに圧倒されていたのが大学1、2年の頃だった。
でも、なんとなく負けたくなくてどうにかしてそういう人たちのボロを見つけて
自分の存在意義みたいなものを確認しがちだったのだが、当たり前ながらそれは本当にカッコ悪い。
しかし、世の中でもてはやされてすごいと評価されている人たちの中にはどうしても「なんか違くね?」というのが存在することも確かだと思う。
最近、覚えた見分け方はこれ。
なんらかの結果を出している人はなんの結果も出してない人より偉い。
どれだけ気に入らなくてつまらなくても結果を出しているやつの方が偉い。
逆に言えば、結果を出していないのに結果を出している人に色々文句をつけるのは最高にダサい。
SNSのおかげでみんなが自分の意見を発信できるようになったけれど、
なんの実績もない人たちがそれなりに有名な人たちを論破しようと試みたりとりあえず罵声を浴びせようとするのを見るけどとにかくダサい。カッコ悪い。
でも、自分にもそういう面が確かにあったし今もある。
結果を出せば人もその他のリソースも勝手についてくる。
あと仕事量ってのも大事かなと最近を思う。
単純な話、やればできるけどあんまりやらない奴と出来はまあまあだけどめっちゃやる奴がいたら後者が良いに決まってる。
例えば「起業」は一つの結果だけど、「で、結局こいつは何をしたんだ?」みたいなのも多い。
それなら会社の中でいろんな事業を成功させた人の方がかっこいい。
僕はどっちもまだなので何も言えないんだけど…
3. 「怖い」をコントロールする
は?って感じですよね。
説明します。
他の人はどうか知らないけど
自分の苦手なことだったりやったことのないことをやるとき、僕は胸のあたりがキューっとなる(ときめいているわけではない)。
べつに緊張でも恐怖でもなんでもいいんだけど、この状態になると思考が止まる。
「時間よ早くすぎろー」状態になってしまって何もできない。
ただやり過ごすことだけを考えるようになってしまう。
大人になると怒られることも減って中途半端な知識や思考力を身につけるからけっこういろんなことをやり過ごせてしまう。
でも、それだと何かにチャレンジして自分を向上させたいみたいな欲求と矛盾する。
それはけっこう苦しい。
僕の場合は「なんでうまくできないんだ!」と思った場合は大体、恐怖や緊張で頭が止まっているせいだと最近気づいた。
例えば、英語を話すときとか、さっきの「年上と話すのが苦手」というのもそう。
思い返せば、苦手であったり未体験のシチュエーションのときは身体がカーッとなる。
意識的になるだけでも随分違うし、もっと早く気づきたかった。
たぶん話はまだ尽きないけど、話のレベルもばらばらになってしまったし既にけっこう長いのでここまでにする。
終点まで行ってみた。 -コペンハーゲンの中心から20分で大平原-
ブログの名前に「日記」とあるのに、今まで日記らしきものを書いてこなかった。
というわけで今日は普段乗ってるメトロの終点まで行ってみた。
終点、といってもコペンハーゲンの中心部からメトロで20分ほどである。
しかも、僕の最寄り駅は終点の一つ前なので目的地まで歩いていった。
僕の近所は新しく開発されている土地なのでどこもかしこも建設中だ。
途中で見えてくるのは2016年に完成するというアリーナ。
終点の駅までつくと、いくつかマンションらしき建物が見えてきた。
もはや見慣れてしまったデンマーク建築である。
本当に何もない。
さらに進むと広大な草原が広がっていた。
もう一度言うが、ここは首都の中心部からメトロで20分ほどの場所である。
ここから20分で国会議事堂にも女王の住む王宮にも行けるのである。
最初は空港の敷地かと思っていたが、そうでもないらしい。
地図の右上あたりから先ほどの写真を撮影したのだが、帰宅してからgoogleマップを見てびっくり。
どんだけ草原やねん!!
調べてみるとここは、30〜40年ほど前まで大砲の訓練場だったらしい。
そして不発弾等の完全な撤去が確認されたのがつい6年前の2010年。
Vestamager ammunitionsrydning - NIRAS ←不発弾撤去完了の記事
Kalvebod Fælled - Wikipedia, the free encyclopedia ←ウィキペディアの説明
なんとも変な感じである。
さて、デンマークで新たに建設されるビルはとにかくエッジが効いている。
この「切断面揃えんかい」と言いたくなるアパート
おもわず「え、どういうこと?」とつぶやいてしまう奇怪な形のオフィス兼住居。
またまたgoogleアースをみて気づいたのだがこの写真のビル、数字の8の形らしい。
というわけでその名も「8TALLET」
誰が気付くんだ…
しかし、このビルからの眺めは先ほどの大平原である(中に入ったわけじゃないけど)。
うらやましい…
少し歩くと幼稚園の横におじさんが座っていた。
木製のおじさんである。
なんの説明もなくただ座っていたこの大きなおじさんは何を見つめているのだろう。
難民から資産を没収!? -Jewelry Lawをめぐる議論ー
先日、ツイッターのタイムラインをさかのぼっていると
やたら"Denmark"という文字を目にした。
何かと思えば、デンマークが難民・移民から財産を回収できるという法律が可決されたことを世界中のメディアが報じたようであった。
具体的には、難民から10,000クローナ(1クローナは約18円)以上の資産を没収し、彼らの住居や食事などの経費に充てるいう内容だ。
元々は婚約指輪など思い出の品を含むありとあらゆる財産を没収する法律であったため、英語では"Jewelry law"と呼ばれている(反対意見が続出したため、思い出の品は対象から除外された)。
上の記事にも“controversial”とあるようにこの法律はかなり論争を巻き起こしている。
国連で難民関連の問題を担当する国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)はこのデンマークの決定をかなり強く非難し、「難民の尊厳への侮辱だ」と述べ、国連のパンギムン事務総長も、命からがら逃げてきた難民たちは敬意をもって扱われるべきだという趣旨のコメントを出した。
さらなる批判として、Jewelry lawはナチスドイツがユダヤ人を強制収容所に送り込む際に全ての財産を没収していたとの比較に値するという意見もある。
↑デンマークのシンボルの一つである人魚姫が難民から没収した宝石類を身に着けている風刺画
デンマーク政府は法律成立前から投げかけられた激しい批判に対し、「デンマーク史上最も誤解された法律だ」と反論した。
Has Denmark’s plan to seize goods been misunderstood? - The Local
デンマークは高額な税を徴収する分、多くのリターンを与えるという社会民主主義の国であり、デンマークで暮らそうとする以上難民だからといって支援を無償で与えるわけにはいかないというのがJewelry lawの趣旨だ。
この法律が議題に上ったあとに起こった大事件といえば、2015年末にヨーロッパ各地で起きた性的暴行事件だ。
この事件は特に日本においては断定的に難民によるもの言われているが、地元のギャングが絡んでいたという説もある。
ちなみに1月6日までに逮捕されたシリア人は難民ではなかった。
一方で、犯行が「アラブ系」によって行われたことは間違いなさそうだ。
しかし、実態がどうであれこの事件は難民の流入に不安を覚えていた人々に、表立って難民受け入れ反対を表明する材料を与えてしまった。
間違いなくデンマークにおけるJewelry law成立の追い風となったはずだ。
個人的な意見としては、Jewelry lawはあくまで国民の不満を抑えるための政策であるように思う。
自分たちが働いて稼いだ税金を難民に与える政府という印象を持たれないためにも、難民から何かを徴収する必要があり、今回の法律は毅然とした対応を示すためのパフォーマンスの一種と言ってしまってもいいような気がするし、難民が移住先としてデンマークを選ばないようにするためのものでもあるだろう。
だいたい、難民から回収できる金額などたかが知れているだろうし没収した資産で難民支援を賄うのは難しいだろう。
(↑デンマークにやってきた難民の持ち物を取材した記事)
しかし、それが「宝石まで巻き上げられる」というセンセーショナルな部分が取り上げられ、大きな問題となった。
実はこの種の法律はスイスで施行されており、今後はドイツもそれに続く模様だ。
難民を受け入れ続けることはいかに国が豊かであろうと難しい。
しかし、本当に命からがらで逃げてきた人たちに対し今も殺戮の続く母国へ帰れ、と言い切ってしまうこともまた難しい。
イスラム問題に関して多くの著作がある池内恵は、「2015年は西欧の普遍主義の限界を思い知らされた年、2016年は限界をあからさまに認めてしまう年」と述べた。
人々は再び分断されるのだろうか。1月1日の夜に放送されていた「ニッポンのジレンマ」が1月30日(29日の深夜と言うべきなのかな?)0時30分から再放送されます。私はVTR出演で「2015年は西欧の普遍主義の限界を思い知らされた年、2016年は限界をあからさまに認めてし...
Posted by 池内 恵 on 2016年1月23日